日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2013年6月1日

362/1000 八ツ松公園(兵庫県西宮市)

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西宮市の鳴尾地区は、もともとは武庫川の河口近くのなだらかな土地で、川沿いの微高地に育つマツが美しく目立っていたそうです。

大正時代に武庫川の改修に伴って廃川となった支川の枝川跡地に住宅地が開発され、これが甲子園と名付けられました。今は甲子園○○町という住所表記の範囲は広がっていますが、甲子園一番町~九番町までが当初の開発範囲だそうです。
ということで、現在は甲子園駅から徒歩3分ほどの甲子園六番町にある八ツ松公園のあたりも、かつては枝川の土手に八本松が並んでいたのではないかと想像します。

そういう土地なので水には不自由しなかったのかと思いきや、天井川となっている武庫川からの取水は困難だったようで、天正19年(1591年)の水争いの記録が残っているそうです。
八ツ松には、この争いの折に犠牲となった人々を顕彰する碑が建てられています。話は豊臣時代と400年以上前のことですが、碑が建てられたのは40年ほど前だという話です。
八ツ松公園

●義民顕彰碑
天正19年夏の旱魃に鳴尾の農民は灌漑用水の欠乏に迫られ、武庫川の分流たりし枝川の北郷用水樋に加工し、密かに暗渠を通じて上流の瓦林地方の用水を導入した。これがため瓦林農民の怒を受け、烈しい斗争を惹起するに至り、遂には官憲の発動となり成敗が加えられ、双方に加勢した村々にも糾弾が及ぶほどの大事件となった。
村のために非常手段を敢行した20数名の農民たちは、翌年秋、磔の極刑に処せられたが、哀情は認められて爾後鳴尾用水路は確保されるに至った。
後世鳴尾郷民は、この犠牲となった人々を義民と称えて墓碑を甲子園の淨願寺に建て、その遺徳を追慕し霊を弔い、今尚命日には盛大な法要を続けている。
寺は此の東50メートルの地にあり、北郷用水樋の趾は北約800メートルの地に建碑標示してある。
撰者 兵庫県文化財専門委員 吉井良尚
謹書 甲子園淨願寺住職 釋得雄

公園は南側に土舗装の多目的広場、北側に遊具広場があり、公園の区画内に八ツ松市民館という地域コミュニティ施設があります。
ちなみに義民顕彰碑に出てくる淨願寺は、市民館のすぐ向かいにあります。
八ツ松公園

遊具広場は、中心に山遊具を据え、周囲にブランコ、二重太鼓橋、鉄棒、パーゴラなどを配したシンプルなもの。広さの割には遊具は少なめです。
八ツ松公園
八ツ松公園

しかし、中央の山遊具が立派なのと、遊具が少ないのが逆に走り回るのには適しているのか、元気な小学生が集まって、スゴい勢いで登ったり降りたりを繰り返して遊んでいました。
山遊具のカラフルさも魅力です。
八ツ松公園八ツ松公園

(2013年1月訪問)

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