錦華と書いて「きんか」とは格好いい名前ですが、由来としては先に小学校名としての錦華小学校があり、その隣にできた公園なので錦華公園という名前になったようです。
ではなぜ猿楽町にある小学校が錦華?という疑問は残りますが、No.137の十思公園でも触れましたが、なにかと意気軒昂だった明治初め頃にできた東京の小学校は、単純に地名から校名を取るようなことはせず、漢籍から採るなど、いろいろと凝った校名をつけることがあったようです。
その錦華小学校、夏目漱石の出身校としても知られるのですが、1993年(平成5年)に周辺の小川小学校、西神田小学校と統合されて区立お茶の水小学校となったため、校名は無くなってしまいました。
さて、隣接する小学校の名前を公園名に使うのは、関東大震災からの復興事業で作られた公園に多い特徴でもあります。こちらの錦華公園も、竣工平面図を見ると非常にわかりやすく一体的に整備されていたようです。
そして現在の錦華公園。小学校との間で、開園当時は公園敷地だったところに幼稚園が建てられています。小学校との一体性は失われましたが、幼稚園がその代わりとなって当時のイメージを伝えています。
ステージも、開園当時とは位置や形状が変わっていますが、当時のイメージを踏まえた改修結果だと思われます。がしかし、なぜか現在はステージとしての利用はしない方針になっているようで、プランターがずらずらと並べられていました。
遊具は砂場、ブランコ、揺れる動物(イヌ型2)など。
砂場の中には、一口では形状を表現できないプレイウォール兼すべり台があります。
公園の北東部分の斜面地はちょっとした森になっており、その下には池があります。これも竣工平面図に登場しており、池の形状や散策路の付け方は多少変わっているかも知れませんが、この森と池は開園当初にもあったようです。
地形的には明治大学や山の上ホテルのある丘の崖下にあたりますので、当初は斜面からの湧き水があったのかも知れません。
震災復興小公園としての側面と、地形を残した整備とが両方楽しめる良い公園だと思いました。
(2012年11月訪問)
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