千代田区の西の方というか、大雑把に東西は千鳥ヶ淵から四谷見附の間、北は靖国通り、南は新宿通りに囲まれた一帯が番町です。一番町から六番町まであり、名前は江戸時代の旗本組織である大番組の屋敷が並んでいたことに由来します。
現在はなにぶん過密都市・東京なものでオフィスビルがあちこちに入り込んでいますが、どちらかと言えば文教地区、住宅地区(高層住宅ですが)の色合いの強い一角です。
番町の北端にあたるのが五番町で、ここに五番町児童遊園があります。
と、知ったようなことを書いてきましたが、江戸時代~明治時代地図を見ると、市ヶ谷駅よりも西側のこのあたりは五番町ではなく「土手三番町」となっています。ほかにも番町の番号の打ち方は現在とはずいぶん異なっており、千代田区のホームページによれば土手三番町が五番町に改称されたのは1938年(昭和13年)のことだそうですが、なぜ三番が五番になったのかはよくわかりません。
さて、そういうわけで元々が「土手」だったわけで、児童遊園とは言いますが、区域には外堀沿いの土手がずーっと含まれていてほぼ桜並木の遊歩道といった風情です。これが四谷駅から市ヶ谷駅の近くまで続いています。
サクラはソメイヨシノですが、どうも樹勢が衰えているようで、根回りを掘り返して土を柔らかくする取り組みがおこなわれていました。これは、雨や踏圧で固くなった土では根が元気でいられないため、浅く掘り返して透水性・通気性を改善するためのものです。
また、こちらは掘り返した後?に地被植物を植えることで、土が踏みつけられないようにしているようです。
このサクラの樹勢調査には、近くの小学生も参加しているようで、千代田区のホームページに情報が掲載されていました。
サクラだけではなく、土手斜面には立派なマツ林もあります。
こうして、所々で狭くなったり曲がりくねったりしながら市ヶ谷方面に進んでいくと、最後に遊具広場にたどり着きます。
途中ではもう少し天端幅が広いところもあったように思うのですが、なぜか行き止まりの狭いところにブランコ、小型複合遊具、砂場をコンパクトに収めています。よくわかりませんが、きっと何か理由があるのでしょう。
(2012年11月訪問)
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