八代市の千丁町(せんちょうまち)は、2005年(平成17年)に合併するまでは独立した自治体でした。その頃の千丁町役場や図書館、公民館、小中学校などが集まっている町の中心部にあるのが、いぐさの里公園です。
公園名は「いぐさの里」ですが、町全体としては「畳表発祥の地」を名乗っています。
いぐさ栽培と畳表製造って、近いけれど微妙に距離がある間柄なので、どちらをメインに据えるのかは、しっかり決めて欲しい気がします。
そのへんを年表で確認したかったのですが、上の方に書かれていたはずの、「畳表発祥」や「いぐさ栽培の始まり」あたりの大事なところが剥がれてしまって、今ひとつよくわかりません。
とりあえず、この町では16世紀初頭、時の領主によって、いぐさ栽培が導入されたようです。
さて、それはさておき園内。約8,500平米の園内は、他の公共施設に近いところには広場や休憩施設、遠いところには広場を包むように大きく盛土山を築いて、林を育てています。
このあたりが、利用のひとつのコアになっていて、休憩所、噴水跡、ステージ、花壇などがあります。
たぶん今は使われていないと思われる噴水の周りは、畳の縁のような模様が付いています。
畳モチーフで考えていくと、畳にすれば3畳くらいの花壇も、以前はイグサが植えられていたのだろうと思います。
そこから少し西に行くと、盛土の裾に、江戸時代後期にこの付近が干拓で開かれた時代につくられた石造の堰が保存されていました。むかしは、こんな立派な堰が、町内に47ヵ所もあったそうです。
■現地の解説板より「石原堰(いしはらぜき)」
17世紀、干拓された土地に水を供するため、水路を開き、堰を造る工事が行われました。この堰も新牟田開で開かれた小字名石原等に、水を供し、水量調整の江口川支流・南川をせき止め築かれた堰の一つです。石原に築かれたので石原堰といいますが、平成2年撤去されるまでの200余年間田を潤してきました。角尺一間の石を5人の肩がかりで谷山地方から運び造られた堰が、町に47堰あったのですが、残された郷土の文化遺産として、大切に保存し後世に伝えていきたいものです。
そこから、盛土山の中に緩やかな坂道が続いているので、ここを上っていきます。
すると山のてっぺんには、蹲のようなところから湧き出る、人工の水路がつくられていました。
水路の延長はけっこう長くて、修景的な側面と、水遊びにも使えるものだと思われます。
訪ねた時は水が流れていなかったので、ふだんの状態がちょっとわからニノですが。
流れの終点は池になっており、ここは完全に修景用なのですが、池底は干上がって、雨水だけがわずかに残っていました。
ここの池には、イグサは生えていないようです。
頂上から、水の流れとは別に、長い滑り台も飛び出しています。
それとは別に、複合遊具も置かれています。これはけっこう新しく、ここ数年の間に入れ替えられたのではないかと思います。
ちょっと気になったのは、複合遊具の屋根に付けられたキャラクター「いぐさくん」のイラストパーツ。
プレートの上の半透明シートの剥がれ方が、さっきの解説板の剥がれ方とはちょっと違っています。もしかして、表面保護用のシートを外さないままに取り付けているのでは?
夏空が気持ち良い、いぐさの里公園でした。
(2026年8月訪問)


















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