標高50メートルほどのところにある阪急・山本駅の北側の丘陵地を、一気に高低差200メートルくらい駆け上る住宅地・山手台にある公園は、以前にNo.3439 山本山手中央公園(標高約170m)、No.3440 山手台北公園(標高約230m)などが登場しました。
今回は、それらよりはずっと低く標高120m付近にある山手台南公園ですが、バス道からの登り口は、けっこう険しい九十九折の階段です。
資料によれば面積は約1.4ヘクタールあるのですが、大半は斜面林で、普通に利用できるのは、この階段を上りきった先の2,000平米ほどだけです。
そこも決して平坦なわけでなく、全体的にゆるく傾いたところを、上手に整地して広場にしている状態です。
舗装された広場に、石造のモニュメント、トイレ、休憩所などがあり、遊具などはありません。住宅地内には、ほかに遊び場型の公園もあるので、そことは分担をして、この公園はシンボル性、眺望、森や文化財の保全などの役割を果たしています。
シンボル性は、この辺。石造りのモニュメント。作者・作品名などはわかりません。
眺望は、この辺。南の方に向けては樹が枝葉を伸ばして視界が遮られていましたが、西南の西宮~神戸方面にかけてはよく眺める事ができました。この分なら、夜景も美しいのではないかと思います。
背伸びをして遠景を望まずとも、散策路沿いにも、紅葉した樹々があちこちに見られるので、園内の近景を楽しむこともできます。
森の保全については、冒頭でも述べたように敷地の大半がかつての里山林を保全した斜面林ですので、兵庫県が進めるフィールドミュージアム「北摂里山博物館」の1資源にも選ばれているほどです。
もっとも、このあたりの低山は、だいたいが里山だったわけですが、その中でも公園として人が近づきやすくなっているところが、里山博物館に選ばれている理由なのでしょう。
文化財の保全については、その低山の中に古墳群が隠れています。
そのうち、わりと最近に発掘された長尾山古墳についての解説板が園内に設置されています。
■現地の解説板より「長尾山古墳(宝塚市指定史跡)」
長尾山古墳は、昭和30年代の初めから分布調査により古墳であることが確認されていましたが、墳丘測量調査などから5世紀中ごみの古墳であろうと考えられていました。
その後、宅地開発が行われた際に公園内に保存されていましたが、古墳の発掘調査が行われていなかったことや、 墳丘の土砂流出などが危惧されることから、大阪大学考古学研究室と宝塚市教育委員会により合同の学術調査を 2007年から2011年度にかけて行いました。
その結果、全長約42mの前方後円墳であり、内部の全長8.9m、幅5.0mの墓坑内に長さ6.7m、幅2.7m、高さ1mをはかる巨大な粘土槨(木棺を粘土でくるんだ埋葬施設)があり、墓坑の南東隅には排水溝がありました。粘土槨はほぼ当初の姿のままで発見され、他に類をみない貴重なものです。
墳丘は二段築成で周辺には葺石や円筒埴輪が並んでいる状況が確認され、また、埋葬施設付近から出土した土器片や、埴輪などの特徴から4世紀初頭にこの古墳が作られたことが判明しました。
調査成果により、この古墳には猪名川流域で最も早い時期にヤマト政権と密接な関係をもった被葬者が葬られていたことが推測されます。このように、宝塚市とその周辺の歴史を考えるうえで、極めて貴重な古墳であることが判明したため、2010年2月には宝塚市の史跡に指定されました。
古墳は、今後も長年にわたり保存する必要があるため、 埋葬施設等を埋め戻し、墳丘周辺に土砂流出を防ぐための土囊などを積んでいます。
なお、古墳を無断で発掘したり、荒らしたりすると文化財保護法によって罰せられることがありますので、ご注意ください。(平成25(2013)年3月宝塚市教育委員会)
少しだけ森の中に入ってみましたが、どこもかしこも樹が繁っており、どこが墳丘なのだかさっぱりわかりませんでした。
歩けば色々見つかる、初冬の山手台南公園でした。
(2024年12月訪問)













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