現在は歌劇が有名な宝塚市ですが、もともとは明治の終わり頃、武庫川沿いの宝塚温泉が、後の阪急電鉄の手によって観光開発されて、そこのレジャー施設の目玉としてスタートしたのが宝塚歌劇の始まりです。
そして今回は、その宝塚温泉から、温泉の薬効を称えて観音像を祀ったのが始まりと伝えられる塩尾寺(えんぺいじ)へ向かう道すがらにある、日の丘公園を訪ねます。
と言っても、温泉から公園までは数百メートル、塩尾寺まではこの先2kmくらいあるので、公園としては住宅地の続きで、さほど山深いところにあるわけではありません。
目立っているのは、道沿いに並ぶ3つの石碑。
一番大きく、よく目立つ石碑には「南無阿弥陀仏」「大坂講中」の文字が刻まれています。大坂で何かしらの講を組んでいる皆さんが寄付して建てたことはわかるのですが、塩尾寺に祀られるのが観音様であれば、刻むべきは「南無観世音菩薩」であるべきなので、であれば、この石碑もどこかから移されたものなのでしょうか。
次に大きいお墓のような石碑は、表面に戒名のようなものと「植木屋久兵衛」、裏面には「安政3年丙辰11日」などと刻まれています。
宝塚市の関連サイトに、何かしらの関連がありそうな記事があったのですが、これも詳しいことはわかりません。
■たからづかデジタルミュージアム「霊泉と塩尾寺」より抜粋
伊孑志の古老田中和作によれば、塩尾寺の大燈籠には「観世音献燈・塩尾寺願主大坂□□天保一五坤□」とあり、また「大坂講中施主植木屋久兵衛・安政三年丙辰三月二十一日」としるす石塔や「塩尾寺観音これより十八丁摂〓(州)尼崎講元願主灘屋利右衛門大……」と刻んだ道標がある。「六甲山塩尾寺十一面観世音、すぐ十五丁」の道標は、左側面に「厄神明王」、右側面に「大坂観栄講」裏面に「明治三年□月□日」と刻まれているという。すくなくとも江戸時代末期には、近郷から塩尾寺に参詣する人たちが多かったことをこれらのものが証明はするが、その参詣が温泉とかかわるかどうかを明らかにすることはできない。
そして真ん中の一番小さい石塔は、うっすらと梵字のようなものが刻まれているようにも思うのですが、それ以上はわからず、3つの中でも一番わからない物件です。
さて、わからないことだらけの石碑たちのことは置いておいて、園内へ。敷地内は小さく2段に切り分けられており、下段はベンチや休憩所がある小園地、上段は複合遊具が置かれていて、上下を問わず、サクラやツツジがたくさん植えられています。
花木が多いので、春から初夏にかけての陽気のよい頃には、休憩所に座って一息つきたいものです。
水道の横の、景石とも呼びにくいような大岩は、座るには少しゴツゴツしていますが、子供たちが飛び乗ったりするのには丁度よい高さです。
続いて、数十センチほど高くなった上段部。こちらにもケヤキなどがしっかりと植えられている下に、滑り台とジャングルジムの複合遊具が置かれています。
宝塚市のほかの公園ではあまり見かけないスタイルですが、遊具の周り全体に人工芝が敷かれています。
古くなって、隙間から少しずつ自然の草も生えて来ていますが、間違いなく人工芝。
人工芝は、公園の中で使うと景観的に浮いてしまうことが多いのですが、ここのものは自然の草が交じってきたお陰で、あまり違和感がありません。
周りの住宅地の、落ち着いた雰囲気に似合う日の丘公園でした。
(2025年5月訪問)















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