神戸市灘区の篠原伯母野山(しのはら・おばのやま)町は、南北に長い町域なのですが、いちばん北の3丁目まで行くと標高が250メートルを越える高台で、西には神戸港、東には大阪湾岸の方まで眺めることができる眺望の地です。
六甲南麓では、こうした高台の住宅地は高度成長期に開かれたものが大半なのですが、ここは昭和初期に開発された古株の住宅地です。
六甲南麓では、戦前にすでに標高100メートルの阪急沿線くらいまでは宅地開発されていましたが、戦後には標高150メートルくらいまで広がり、高度成長期になるともっと山の方まで食い込んで、高いところでは標高300メートルあたりまでが開発されます。
ところが、篠原伯母野山は開発の順序が逆で、昭和初期にはじめに開発されたのは標高250メートルくらいの高台で、高度成長期になってから裾の方の標高150メートルくらいが開発されます。おそらく、当初は高原別荘のようなイメージで開発されたのでは、と思うのですが、詳しいことは知りません。
ただ、現地に行くと多少の縁になるものが残っており、1932年(昭和7年)8月に地元新聞社の神戸又新(ゆうしん)日報社が読者投稿で選定した「神戸八景:伯母野山住宅街」の石碑が建っています。それくらい、当時のトピック的な住宅地だったのでしょう。
さて、本題の篠原伯母野山南公園ですが、上の石碑がある3丁目から直線距離で500メートル、高低差で90メートルほど下りてきた、標高150メートル付近にある小公園です。
とは言えまだまだ坂の途中で、公園敷地は険しい擁壁の上にあります。
坂の上の方にひとつだけある出入口から入って、園内。一面の土敷きの広場に、小ぶりな複合遊具、砂場、ベンチ等が置かれています。
でも訪れた時は、複合遊具のデッキ部分が立入禁止になっていました。
おそらく、床の木材が傷んでいたのでしょう。












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