東京都北区の王子・滝野川界隈は、江戸時代は王子稲荷の狐火が有名なほどの郊外だったのですが、明治に入ると広い土地と石神井川の水力を使った民間の工場や官営の試験場などが進出するようになり、後には軍需工場も合わせて、一大工業地帯となります。
その一角を占めたのが、大蔵省の醸造試験場で、日本酒醸造の実験や技術講習などを行う施設として、1904年(明治37年)に創設されました。
これが1995年(平成7年)、当時の国機関の地方移転推進などの施策によって東広島市に移転し、その跡地の一部を公園にしたものが、2006年(平成18年)に開園した醸造試験所跡地公園です。
ただし、試験場跡地のすべてが公園になったのではなく、ざっくりと北側1/3くらいが公園になり、中央の第1工場は国の重要文化財として保存され、南側1/3ほどは民間の集合住宅になっています。
さて、JR王子駅から徒歩3分ほどの北端出入口から園内へ入ります。
立派な赤レンガづくりの門柱が目印ですが、地震などには不安があるようで、鋼鉄製の支えが付けられていました。
そこから数10メートルほど桜並木が続きます。
並木沿いは、試験所当時はいくつか建物があり、お社も建っていたようです。やっぱり酒造りの神様なので、松尾大社だったのでしょうか。
今は小さな芝生広場なので、お花見の時期などが楽しいことでしょう。
そのまま進んで、公園としての中央部に来ました。
遊具などはない一面の芝生広場で、奥に見える赤レンガの第1工場がよく目立ちます。
■現地の解説板より「国指定重要文化財(建造物) 旧釀造試験所第一工場」
醸造試験所は、醸造方法の研究や清酒の品質の改良を図ること、講習により醸造技術や研究成果を広く普及させること等を目的に設立された国の研究機関です。創立は、明治37年(1904)5月で、酒税とも密接なかかわりを持つことから、大蔵省が所管することになりました。
醸造試験所が設置された場所は、幕末に滝野川大砲製造所が置かれた敷地の一部で、水利がよく、王子停車場(現王子駅)も近いことから「洵に得難き好適地」として選定されました。
第一工場は、試験所の中核施設として、蒸米・製麹・仕込・発酵・貯蔵等の作業が行われていました。設計及び監督は、大蔵省技師の妻木頼黄が担当しています。一部三階建、地下階に貯蔵室を持つ煉瓦造で、外観を化粧煉瓦小口積とし、外壁上部は煉瓦を櫛型に並べたロンバルド帯風の意匠になっています。躯体の煉瓦壁の一部に中空部分を設けて外部の温度変化の影響を受けにくくし、またリンデ式アンモニア冷凍機を用いた空調設備を備える等、一年を通して醸造の研究が行えるように、ドイツのビール醸造施設を応用した設計がなされています。製麴室の白色施釉煉瓦積の壁や、鉄骨梁に半円形状に煉瓦を積んだ耐火床など、屋内にも特徴的な煉瓦造の部分をみることができます。
昭和20年(1945)4月に空襲で被災し、屋根部分は葺き直されていますが、その他は当時の様子をよくとどめています。(平成29年3月 東京都北区教育委員会)
ただ、ちょっと目線をずらすと、今も使われている現代的な建物が目に飛び込んでくるので、第一工場にいまいち没入できないようにも感じます。
もともとは一つの敷地で、施設同士の間はただの通路だったからと思いますが、今となっては園内に高木を植えて、こちらの建物は隠したいところです。
試験所当時からの民有地境界には、ちょっとした林になるほどの植栽があって、きっちりと遮蔽されているので、なおさらそう思います。
一方で、園内のトイレは第1工場を模したレンガ造り風。
トイレ横の自販機も、頑張ってレンガ風シールを貼ってカモフラージュしているのですが、レンガも目地も色合いがまったく違うため、かえって目立っています。これなら色だけ合わせて、ペンキで塗りつぶした方が良かったかも。
と、まぁ名前から勝手に文化財的な見せ方などを期待して訪ねたために少し落差があったのですが、芝生広場、サクラ、花壇とロングベンチなどが揃っており、ご近所の皆さんの公園としては気持ちの良い醸造試験所跡地公園でした。
(2025年5月訪問)











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