浦添市の安川南(やすかわみなみ)公園は、洞窟遺跡と一体化した公園で、崖がえぐれた洞窟部分は遺跡、その上の地上部が公園になっています。
ちょっとわかりにくいですが、フェンスの中が洞窟遺跡の見学のためのスペース、写真には入りきっていませんが、右手の方に移動するとすぐに公園出入口があります。
まずは遺跡の方に入ります。
こちらですね。洞窟とは言いますが、パッと見えているのは「岩の裂け目」くらいなもので、解説板がなければ奥行きが110メートルもあるとは思えません。
解説板を読むと、単に原始古代の遺跡というだけではなく、鍾乳洞としての地質的価値や、近世以降の利用なども含めて、総合的な価値が評価されていることがうかがえます。
■現地の解説板より「市指定史跡チヂフチャー洞穴遺跡」
昭和61年3月30指定本遺跡付近は、標高約50メートルの琉球石灰岩の台地上をなし、前面の崖下には牧港川が流れ、対岸の台地にはグスク時代の遺跡、真久原遺跡がある。
人間は、古来から洞穴を住居、貯蔵庫、または信仰の対象として、さらには戦争の時には自からの生命を守る防空壕としても利用してきた。本遺跡も又、古代人の住居として利用されたらしく、今からおよそ1500~800年前の沖縄貝塚時代後期~グスク時代の土器や貝殻等の食糧残滓が洞穴の入口付近で見つかっている。
又、洞穴一帯には風葬墓があり沖縄焼の壺等がみられる。さらに、去る大戦中には避難壕として利用され、入口付近に戦時品が多数ちらばっている。
本遺跡は、石灰岩特有のドリーネ地形で形成され凹地になっている。
尚、本洞穴は巾4~11メートル、高さ1.5~4.5メートル、全長およそ110メートルである。洞穴の中にはストロー、つづら石、石筍、石柱、中空鍾乳石、洞穴サンゴ、ヘリタイト、フローストーン等があり、鍾乳洞の発達した洞穴である。(昭和61年3月31日浦添市教育委員会)
大きなガジュマルがあったり、敷地が狭くて距離を開けづらいので全体が撮影しにくいのですが、開口部の幅は7~8メートルくらいあります。解説板のとおりだと、奥へ入っていくとさらに広くなっている箇所もあるのでしょう。
ガジュマルの陰から覗き込んでみると、確かに鍾乳洞。つららのような石が垂れてきている様子がよく見えます。
少し場所を変えて覗き込むと、沖縄での骨壺である厨子甕もありますが、割れて壊れており、「散らばっている」という表現がぴったりになっています。
遺跡としてこの状態が保存されているのか、お墓としては荒らされて大変なことになっているのかが読み取りにくい状態です。
そして、洞窟のすぐ上にはコンクリート基礎のフェンスが建てられており、フェンスの向こう側が安川南公園の本体です。
ということで、地上部の公園へ。
よく考えるとフェンスでしっかりと区切られているので、今見てきた遺跡部分というか、洞窟の入り口部分は公園区域には含まれないのかも知れませんが、そのへんは曖昧にしつつ進みます。
とは言え、園内に入り、フェンス際から先ほどのガジュマルの樹を眺めるとこの距離感。洞窟がどちら方向へ110メートルも続いているのかはよくわかりませんが、公園主要部の地下が洞窟になっていることは確かです。
さて肝心の園内ですが、2つの出入口で結ばれた約50メートルの細長い緑道状の姿になっており、ここが一番幅が広い場所なのですが、今はとくになにもない広場になっています。
いくつもコンクリート基礎が残されているので、以前は遊具が何点か置かれていたと思うのですが、長年の間に老朽化して、すべて撤去されてしまったようです。
唯一残ったのは砂場。でも徐々に草むらに戻りつつあります。
反対側の出入口に進んで、振り返るとこんな感じ。
洞窟遺跡のことばかりが印象に残る安川南公園でした。
(2024年3月訪問)
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