3737/1000 喜屋武マーブ公園(沖縄県うるま市)

2024/09/17

うるま市 おもしろジャングルジム 沖縄県 屋上公園 城跡 戦没者慰霊碑

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喜屋武(きゃん)マーブ公園は、グスク跡だという丘陵を公園としたもので、大雑把には丘陵頂部の広場エリア、東側山裾の遊具エリア、西側山裾のスポーツ施設エリアの3つに分かれます。
東西の山裾それぞれに駐車場があるので、その施設を使う人には便利ですが、頂上に行くにはどちらからも歩いて登らないと行けないので、まぁまぁ大変です。

マーブとは何かがわかりませんが、とりあえず、このくらいの道を通って頂上に向かいます。

進んでいくと、要塞のような切り立った壁が出現しました。
見ればわかりますが城の石垣が残っているわけではなく、明らかに近代工法でつくられた構造物で、おそらく水道の調整池タンクではないかと思います。

その上部に出ると、一面の芝生広場が広がっていました。水道タンクの屋根の上ですので、この部分に関して言えば、本ブログの分類では屋上公園に当たることになります。

そこからさらにもう一段登れるようになっていて、ここが公園内としては頂上に当たります。

頂上の四阿からは東方向に視界が開けており、そのの眺めはこんな感じ。
具志川の先、金武湾の方角を見ているはずですが、天気が悪かったこともあり、海沿いの火力発電所から続く送電鉄塔ばかりがよく目立つ写真になってしまいました。

この頂上に解説板が置かれていて、ここがグスク跡、さらには烽火台跡だということはよくわかったのですが、マーブの謎は解けません。

■現地の解説板より「喜屋武城跡(喜屋武グスク)」

喜屋武グスクは、別名、喜屋武マーブ、仲嶺マーブまたは、火打嶺ともいわれていますが、地元では「喜屋武マーブ」と呼んだ方がなじみ深いです。標高が高く、およそ110mの台地に位置しています。
言い伝えによると、初代安慶名大川按司の四男喜屋武按司が築城し、その子孫3代の居城で、その後廃城になったといわれています。また、勝連グスクの阿麻和利を討伐した鬼大城賢雄が幼少時代を過ごした城ともいわれています。
喜屋武グスクは、むかし火立があったところでもあります。首里王府は、県内各地の要所に遠見を置き海上を見張らせ、御冠船、進貢船、薩摩船の入港を首里王府に通報する烽火台を設置していました。うるま市では、宮城島、平安座島、平敷屋、喜屋武グスクにあり、これにより、本グスクは「火打ち城」とも呼ばれています。
グスクの石垣は、高屋武・仲嶺集落の道路工事の際に取り壊し、集落内で使用されました。また、1931年(昭和6年)頃の県道川田・赤道線の道路工事用石材として一部破壊し、使用されるなど石材として利用されたため現存していません。
現在の喜屋武城跡は、「喜屋武マーブ公園整備事業」により、広場、バスケットコート、テニスコート等の設置、園路整備、遊具施設等の整備、展望台が設置されるなど、「喜屋武マーブ公園」として市民の憩いの場となっています。(うるま市教育委員会)

上記の解説板の中に描かれていたイラスト入りの系図。
解説板では「喜屋武按司から3代で廃城になった」説と「鬼大城(大城賢雄)が幼少期を過ごした」説の2つが紹介されているため、それを合体させた系図になっています。

さて、頂上から南~西方に下りると、斜面の途中に喜屋武按司の墓、マーブの御嶽などの信仰の場や文化財が残されているのですが、雨が降っていたし、幹線園路以外は崩れているところもあるようだったので、訪問はまたの機会にして、さっき上ってきたしっかりした道で東側の山裾に向かいます。

東側の山裾の遊具エリアは、県道に面した緩傾斜地を使った細長いスペースです。
その中を通る園路で北と南とに分かれており、北は駐車場に近くて新しい複合遊具があるのですが少し狭く、南は遠くて広いのですが遊具はやや古めです。

まず北側。山裾の細長い敷地なので複合遊具も細長く、2つの大きな滑り台を、間のステップ遊具やネット渡りなどで一直線に繋ぐスタイルです。

すぐに県道に飛び出してしまうので、ボール遊びなどには向いていない構造です。

そして南側。広さに関しては問題なく、ガケ滑り台やさっきよりは小ぶりな複合遊具などが設置されています。

複合遊具は葉っぱの葉脈の形をしたラダー遊具、吊りタイヤ、吊り輪など、一風変わったアスレチック要素のパーツが多いものです。滑り台メインの北側とは、少し違いを出そうとしていることがわかります。

その周りには恐竜型のジャングルジムや揺れる動物遊具などもあります。
ちょっとサビが出てきているので、早めにペンキを塗り直すほうが良いでしょう。

そして大型のガケ滑り台。地形を活かしたものですが、滑り面が劣化してザラつきが目立っていたので、一度研ぎ直しをしてあげたいところです。

そして滑り台の上から、東南の遊び場のほぼ全景を眺めるとこうなっています。

そして次は、丘の西側にあるスポーツ施設エリアに向かいます。
こちらにはフルサイズのバスケットコート、

夜間照明も付いた立派なテニスコートが2面、

そして設定上はゲートボール場になっているのではないかと思われる芝生広場などがあります。

その横には、地域の戦没者慰霊塔もあって、ご近所の皆さんが色々な形で公園に馴染みを持っている様子が伺えます。

でもこの西側のエリアでいちばん印象に残ったのは、小槌のような不思議な形をした時計台のようなオブジェ。なにか地域の伝承などに因むものなのか、あるいは城跡なので沖縄の武器を模したものなのかと考えてみましたが、よくわかりません。
そして「時計台のような」と書きましたが、実際に時計が付いているわけでもなく、今のところオブジェと呼ぶしかありません。

マーブの謎に始まって、トンカチの謎に終わった喜屋武マーブ公園でした。

(2024年2月訪問)

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