3724/1000 山陽新幹線記念公園と上甲東園4丁目児童遊園(兵庫県西宮市)

2024/09/04

身近な公園 西宮市 鉄道遺産 兵庫県 民設公園

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新大阪駅を西に出た山陽新幹線は、まず約15kmの間は市街地の高架橋を通り、下写真の箇所で六甲山系にぶつかってトンネルに入り、さらに約16km進んでトンネルを出ると新神戸駅です。

六甲山系の地下は、断層破砕帯といって花崗岩が細かく砕けた土砂が多い上に地下水も多く、かなりの難工事だったと思われますし、そもそも山陽新幹線はどこも長いトンネルだらけなので、1967~1971まで5年の工事期間に多くの殉職者が出たそうです。

この六甲山トンネルの東の坑口の上部に、当時の国鉄がつくった慰霊碑があり、その周りが山陽新幹線記念公園として公開されています。
国鉄時代は準国有公園だったわけですが、今はJR西日本の用地だと思うので、民設公園に分類します。

周りの道路よりも少しだけ高くなった園地の中央に慰霊碑があり、周りにはサクラやクスノキなどが植栽されて、パーゴラがひとつ置かれているのが全景。
出入口は階段だけなのですが、竣工から50年以上が経ち、ご遺族の方も高齢者が増えていると思うので、できればバリアフリー化を図っていただきたいところです

一段上がって、園内の風景。尾根の突先のような場所なので、小さいながらも明るく開放感があります。

こちらが慰霊碑。碑そのものはさほど大きくはありませんが、慰霊祭などの時に使えるように前庭がしっかり取られています。
前庭の床石の色を少し変えてあるのは、新幹線の線路幅を示しているようにも思うのですが、当たり前ながら碑文にはそんなデザイン面のことは何も書かれていないので、実際のことはわかりません。単に汚れているだけかも知れないし。

碑文には、亡くなられた皆さんのお名前も刻まれていますが、そこは省略して記録。また碑文だけでは、50余名の殉職者が、ここのトンネル工事だけなのか山陽新幹線全体なのかは読み取れません。

■碑文より
山陽新幹線新大阪・岡山間の建設工事は、昭和42年3月に工を起こしてから5年の歳月を経て昭和47年3月に完成しました。
この碑は建設工事に従事して殉職された50有余名の御霊を祀りその霊を慰めるため、本工事関係者が相計って建立したものであります。(昭和47年3月 建立委員会)

慰霊碑の横に並ぶパーゴラ付近から全体を振り返ると、こんな感じ。

逆にパーゴラの後ろに立ってトンネル坑口の方を眺めると、新幹線を上から眺める事ができます。

そして、ここから一般道を渡り、また階段を上ったところが、西宮市営の上甲東園4丁目児童遊園です。

児童遊園に入ってから振り返ると、新幹線記念公園まではこの距離感。こちらの方が、やや標高が高いようです。

こちらには特段の施設や目立つ植栽などはなく、一面の土敷きの広場となっています。

高台からの眺めが良い山陽新幹線記念公園と上甲東園4丁目児童遊園でした。

(2024年2月訪問)

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