兵庫県芦屋市の山中に、奥池町・奥池南町という町があります。
国立公園に含まれる六甲山中で、既存の市街地からは離れて有料道路でしか到達できないところにポツンと開発されたやや特殊な住宅地ですが、統計によれば両町あわせて1,300人ほどが暮らしています。
もともとは、幕末の頃に山裾の村の年寄であった猿丸又左衛門安時(1804-1880)が中心となり、20年の歳月をかけて作られた灌漑用の「奥池」があり、その隣に昭和時代に作られた水道用の「奥山貯水池」があるという風光明媚な土地なので、企業の保養所や別荘なども多い町です。
ちなみに猿丸家は代々芦屋の名士で、本ブログでも、明治時代に村長職を務めた猿丸又左衛門安明(1872-1920;安時の孫)が、No.2190 芦屋公園の回に登場しました。
奥池と奥山貯水池は、水の流れとしては繋がっていますが、いちおう間に堤があって、別々の池として現存しています。正確に言えば、奥池の奥にも小さな池があるので、3つの池が連なっていることになりますが、小さな池の名前は不明です。
そして、昭和時代に造られた貯水池はやっぱり近代的で、護岸が石で固められたり、車道がぐるりと一周したりしているのですが、江戸時代の奥池は池のそばまで樹木が茂り、遊歩道でしか近づけないところも多くなっています。
写真で言えば、冒頭のものが奥池、下の写真が貯水池です。
で、この奥池の畔にあるのが、奥池園地です。
ここで言う「園地」とは自然公園法の用語で、自然公園内で「利用者の散策、水遊び、ピクニック、デイキャンプ、風景観賞、自然観察等自然との積極的なふれあいを図るために設けられる施設(園路、芝生地等)であって、一定の土地の広がりを有するものをいう」といった定義がされています。
つまり、自然風景地の保護と利用促進を両輪とする自然公園の中でも、環境と調和した利用を促すための場所ということになります。
おそらく、まだ住宅地が無かった頃は、山裾からハイキングで登ってきて軽く飯盒炊爨などを楽しめたのではないかと思うのですが、すぐ隣に住宅ができた今となっては、施設が少なめの都市公園といった風景になっています。
今もハイキングで訪れる人と、近所から犬の散歩で訪れる人、ドライブがてらの人など、色々なバックボーンの人たちが集まる場所になっています。
林の中だけでなく、広々とした場所もあります。
昭和中頃のハイキングだったら、こういうところでフォークダンスを踊ったりしたかも知れません。
管理上は、市街地の都市公園と同じ芦屋市公園緑地課の管理になっているのでしょうか。「奥山園地緑地」という、よくわからない施設名称の看板も立っていました。
一角には健康器具まで置かれて、都市公園と同じような施設内容になっています。
そうした賑やかなところを少し離れて歩くと、自然公園ならではの雰囲気ある散策路もあります。
一番奥の小さい池など、高原の趣すらあります。標高500メートルの山中なので、実際に高原なのですが。逆に言えば、そんなところに、よく江戸時代に溜池を築造したものだと感心します。
このあたりまで来ると、公園用の標識は姿を消して、登山道用のものになります。
ただし、ここからゴロゴロ岳までは登山道でも行けますが、StreetViewがあるような車道で、山頂の20メートル手前くらいまで行くことができます。
ところで、お笑い芸人のチャンス大城の鉄板エピソードで、「高校生の時にトラブルで揉めた強面の先輩にさらわれて、山の中で首だけ出して埋められた」というのがあるのですが、各所で彼が話している内容を総合すると、どうもこのあたりのようです。
エピソードでは、「友達と2人が池を挟んで両岸に埋められて、ずっと大声で無事を確認しているうちに寝てしまった」といった話なのですが、確かにこれくらいの距離なら、静かな夜なら声がよく通ると思います。
奥池園地の対岸に行ってみると、いまはフェンスを建てて塞がれているのですが、以前はオープンスペースとして使われていた感じの用地もありました。
風光明媚な奥池園地でした。
(2024年1月訪問)
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