伊丹市の町名・車塚(くるまづか)は、昭和中期の区画整理時に付けられたものですが、元々は尼崎市域にまたがる小字名だったようです。
『角川日本地名大辞典 28 兵庫県』によれば、”古墳時代後期の円墳で町名の起こりともなった車塚は、宅地開発により原形を失い消滅している”そうですが、全体的に平坦な土地なので、そこに塚があれば目立ったことは想像されます。
そんな車塚の車塚公園。
眼の前に、中央部が軽く盛土されたロータリー交差点があるので、「これが車塚!?」と思ってしまったことはさておき。
その西側に、クスノキやヒマラヤスギに囲まれた公園が見えます。
東西方向に長い敷地をしており、中間の植栽帯によって、おおむね東半分が土敷きの広場、西半分が遊具広場に区分されています。
正確に言えばもう1区分、東北の角地にパーゴラと小広場とも言えない平場がある小さなスペースがあるのですが、今ひとつ掴みどころがない場所になっています。
もとはパーゴラの下に幾つかのベンチがあって、眼の前に砂場と遊具があるような幼児遊び場ではなかったのかと考えてみますが、遊具の痕跡はなく、奥に見える丸囲みの中も、砂場と呼ぶのは無理な状態になっています。
ですので、いま子供が遊ぶのは、西側の遊具広場。
遊具は滑り台や2連ブランコ、砂場など、よくあるものが多いのですが、
その隣には、少し不思議な形の登攀遊具が集まっています。
1つ1つは他の公園でも見たことがあるものですが、3つまとめて置いてあるのは珍しいかも。
こちらの建物は、自治会名義で「児童館」だと扉に書かれていましたが、訪ねた時は閉じられていたので、実際のところどのような使われ方をしているのかはわかりません。
規模からすると、雨の日などでも子供が集まれるような一室があるくらいだと思うのですが。
緑と水とに囲まれた車塚公園でした。
(2024年1月訪問)
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