尼崎市の富松(とまつ)公園は、古くからの農業集落である東富松の南に隣接したところにある小公園です。
どれくらい古い集落かといえば、『尼崎の地名』に、“史料上の初見は、『兵範記』の保元2年(1157)の条で、富松庄として登場する。もともとは摂関家の荘園であったが、南北朝時代になって興福寺=春日大社に寄進された”とありますので、少なくとも900年くらい前には、まとまりある地域として存在していたことになります。
尼崎市では、そうした古い農村地域でも区画整理事業などを行なって、整った形の公園をつくっていることが多いのですが、ここは周りの都市化のスピードが役所の想像以上に早かったのか、元里道のような細道に斜めに面する出入口が1ヵ所しかない、袋小路型の変則敷地になっています。
斜めになった進入路を15メートルほど進み、左を向くと、この光景。
出入口からは思いもかけないほど奥が深くて、意外に広いという印象を受けますが、ずっと細長いまま奥まで続く敷地をしています。
細長い中でも、手前の方が多少広いので、ここに滑り台、4連ブランコ、アスレチック遊具などの主要遊具が集められています。
遊具は古めのものが多いのですが、4連ブランコの左端の座板だけが交換されているように、古いなりに丁寧に管理されています。
一番奥まで進んで、全体を振り返るとこんな感じ。
周りは住宅に囲まれていますが、2~3階建てまでの建物ばかりですので窮屈さはなく、むしろ心地よい閉鎖加減です。
あと、とても小さなくてどうでも良いことなのですが、この丸太吊り橋遊具の手すりの角が、丸めてあるのと角ばってあるのとがあるのはどうしてでしょう?
一見すると同じように見えますが、角の処理がまったく違っています。
全体で眺めると、このようにアスレチック遊具のパーツとして置かれているので、角の丸め方で歩く向きを示しているのかと考えましたが、詳細は不明です。
立地特性から考えて、この中だとボール遊びと花火遊びには特に気をつけたい富松公園でした。
(2024年1月訪問)
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