JR新小岩の駅を降りて北へ少し歩くと、元々あたりを流れていた西井堀(にしいぼり)という灌漑用水を埋め立てて緑道にした西井堀せせらぎパークがあります。
用水そのものは、現在の中川から荒川の方まで何キロも続いていたようですが、現在の都市公園としては、約480mの区間を幅8mほどで細長く続く、約4,000平米の街区公園です。
下写真は、南端の公園が始まるあたりの入口広場。水の流れから言えば、最下流にあたります。
こうした公園の場合、使われなくなった水路に蓋をしてしまっても、地下には水路が残って排水路として使われている場合と、本当に埋めてしまっている場合があるのですが、ここの場合はどうなのでしょう。
解説板には「水路を埋め」とハッキリ書いてはいるのですが。
■現地の解説板より「西井堀の由来」
かつて「農業葛飾」といわれた葛飾区には、葛西用水や、上下之割用水など、多くのかんがい用水が発達していました。
西井堀は、大用水とも呼ばれた上下之割用水の分流であり、その水源は水元の小合溜から発します。利根川の旧河道であった小合溜は、享保14年(1729)幕府の治水事業の一つとしてつくられ、その下流にあたる東葛西領(現在の葛飾・江戸川地域)のかんがい用水として利用されました。用水は岩槻橋を経て南流し、新宿に至ると東に小岩用水路を分かち、幹流は高砂・細田方面に入ります。さらに分流して東井堀、中井堀、西井堀となり、西井堀は新小岩から小松川方面に流れます。
しかし、近年、農地の宅地化と産業の工業化によって、かんがい用水の機能は急速に失われ、雑排水路として存続してきました。そして、下水道の整備にともない排水路としての必要性もなくなりました。
現在の西井堀は、水路を埋め、緑ゆたかな道や、水とふれあい親しめる公園として生まれ変わっています。
凄く大がかりに、地下に下りられる構造になっている箇所もありましたが、訪ねた時は出入口が閉鎖されており、下に行くとどうなっているのかはよくわかりませんでした。
場所によって少しずつ状況が変わりますが、おおむねこういう感じで、中央に幅5~8メートルくらいの公園が細長く続いて、その両側ともが車両通行可能な一般道になっています。
中央部分が緑道という位置づけであれば、全体的にもう少し歩きやすい仕上げにすると思うのですが、ここの場合は公園だからか、けっこうな量の施設やモニュメントが投入されており、全体を通しで歩くのには向いていない構造になっています。
つまり流れに沿って軸方向に移動することよりも、両側の住宅地から、自分の家の目の前の区間にヒョイッと入って、そこだけを使うような作りになっているのです。
その分、というわけでもありませんが、区間ごとに整備内容はけっこう違っており、自然風のせせらぎを流していたり、小さな滝のようなものを作っていたりと、バリエーションには富んでいます。
とは言え訪ねた時に、本当に水が出ていたのは上の方で登場した噴水だけで、そのほかの区間は溜まり水があれば良い方で、それ以外は枯れていました。
せせらぎは遠くに行ってしまった西井堀せせらぎパークでした。
(2023年12月訪問)
西井堀せせらぎパークは元々巽橋から奥戸街道に繋がるいわゆるドブ川であった。
返信削除昭和63年環七の青砥橋が完成すると周囲から生活道路としての利便性が高まり暗渠して路線バスの通行が望まれた。
現在の東新小岩アパートは日通の重機センターであった。建設機械がところ狭しとドブ川沿いの一方通行を走行するのはとても危険でそちらの対策も相まった。
せせらぎパークの完成にはおよそ3年ほどかかり当時先駆けであった小松川親水公演や曳舟親水公園に負けず劣らず豪華なものとなった。その後2000年代前半まで噴水やカラクリ時計などが稼働し夏になるとジャブジャブ池に小さなお子様連れが押し寄せ盛況であったが衛生面と維持費の関係で現在は稼働しておらず構造物の劣化も著しい。
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