お菓子のマシュマロは、元々はマーシュマロウ “marshmallow”というアオイ科の植物の根から取るでんぷんを使って作られていました。
今はもうそんな大変な作業はしていないと思いますが、日本でもたまに本葛を使った葛餅がありますので、西洋でも「本マシュマロ」が残っているかも知れません。
とは言え、堺市の小公園は識別番号の代わりに動植物名を使っているだけなので、園内にマシュマロウの姿は見えません。
隣に建つ大規模マンションの開発にあわせて整備されたものと思われますが、マンションのエントランス周りの外構が立派なので、公園は少々押され気味です。
変形の敷地の中には、滑り台と雲梯がくっついた複合遊具。
すぐ隣に大きなマンションがあるのですが、夏場は朝のうちから日に照らされる位置にあります。
手で触ってみたら、確かにあつかった。
鉄棒はおもいっきり日陰だったのですが。
ところで、この公園があるのは、かつて南海ホークスの二軍グランドだった中モズ球場があった場所です。もともとは戦前に南海電鉄が開発した大規模な運動公園があり、その中に野球場がありました。
開業当初は一軍の試合も行われていたそうですが、戦後になってナンバに大阪球場ができたことで、中モズは二軍専用になります。巨人軍の多摩川グラウンドなどもそうですが、「二軍グラウンド」と聞くだけで、プロ選手だけれど一流にはなりきれない男たちの汗と涙のドラマが埋まっていそうで、ファンにとっては気になる存在です。
■現地の解説板より「中百舌鳥総合運動場跡」
この団地を含む周辺には、わが国スポーツ界に大きな貢献をした「中百舌鳥総合運動場」がありました(1935年から1978年頃)。この運動場は、広さが約18万平方メートルで、野球場を初めとして陸上競技場やテニスコートなどがある本格的な施設でした。
なかでも陸上競技場は、1960年に大阪市長居陸上競技場ができるまで、大阪府で唯一の第一種公認競技場として、全国大会も開催されていました。
しかし、泉北高速鉄道の建設や周辺のベッドタウン化により公団住宅などへ姿を変え、野球場を残しその姿は小さくなっていきました。
そして、一軍の公式戦や「南海ホークス」の練習場として使われ、その後、地域の少年野球の練習場としての役割を最後に2001年11月に閉鎖されました。
この団地は往時の野球場そのものであり、輝かしい歴史を偲ぶことができる場所といえます。
昭和後期に南海ホークスのファンだったブログ作者の記憶にあるのは、すでに陸上競技場がなくなっていた時代のことです。
ナンバからずいぶん離れた田舎だったような印象が残っているのですが、南海ホークスがなくなる3年前、1985年の国土地理院の空撮で確認すると、そうでもないほどに家が建ち並んでいます。解説板の写真で陸上競技場だったところには今もあるUR団地が建っており、中央の中モズ球場だったところがマシュマロウ公園を含む大規模マンションになって現在に至ります。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より整理番号:CKK852 コース番号:C3/写真番号:11/撮影年月日:1985/10/15(昭60) |
南海ホークス伝説の助っ人マシュー・マーロウ(嘘)などという人物にはまったく関係ない、百舌鳥町マシュマロウ公園でした。
(2022年6月訪問)
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