3036/1000 中町公園(大阪府岸和田市)

2022/06/26

岸和田市 山遊具 身近な公園 大阪府

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岸和田城の西を旧・紀州街道が通っており、一部に古い建物なども残る町並みが形成されています。この紀州街道からNo.3034 浜工業公園で登場した昭和以降の海岸線までは400メートルほど離れているのですが、江戸時代は50メートルほどで海だったようで、その頃の防潮堤が一部残っています。

そんな江戸時代の防潮堤のすぐ隣にあるのが、中町公園です。
海岸線だったというのは今は昔、紀州街道沿いから広がる密集市街地の中に確保された小さな公園の中には、滑り台、ブランコ、ジャングルジムなどの遊具が所狭しと詰め込まれています。

その中でも存在感を出してくるのは、敷地中央に鎮座する石の山遊具でしょう。やや急な斜面にゴツゴツとした岩が無数に貼り付けられ、荒々しいカメのような雰囲気があります。

裏に回ると岩のない面もあるのですが、ザラザラしているので滑り台ではなく、岩にも鎖にも掴まらずに登るチャレンジ面なのではないかと思います。

すぐ隣には正規の滑り台もあるので、滑る遊びはこちらで楽しみましょう。山遊具と滑り台の距離が近すぎて、子供一人がやっと通れるくらいしかありません。

さらに滑り台のすぐ横にはジャングルジム。ここも距離が近すぎて、高学年になれば飛び移れそうです。

遊具はそのほかに、シーソーと4連ブランコがあります。

ブランコの座板が妙に高いのは、誰かがチェーンを絡まらせて高さをあげるイタズラをしているからです。こういうのを見ると、今でも子供たちが遊びに来ていることがわかって、逆に安心します。

今の遊具の安全基準からすると詰め込みすぎなので、ずっとこのままでというのは難しいかも知れませんが、これからも町の宝であり続けて欲しい中町公園でした。

(2022年6月訪問)

【2024年2月追記】

また近くまで行ったので、江戸時代の防潮堤の写真を追加します。
公園の西南側隣接地の石垣がそれにあたります。

解説板にも書かれていますが、今となっては史跡として大切ですが、明治以降にまちが広がっていく過程では邪魔だった思われ、ここだけに僅かに残っているものです。

現地の解説板より「岸和田城防潮石垣跡」

松平康重(まつだいら・やすしげ)が岸和田城主となった元和5年(1619)以降に幕府の命により整備された石垣の一部であり、現在、岸和田市指定史跡となっている。古図によれば、この石垣は約800mにわたって築かれており、海岸付近の防備の目的と防潮堤としての役割を果たしていた。
江戸時代末期まで城の外郭として保全されていたが、明治維新後に大部分が破壊され、現在はこの場所に長さ9m、高さ2mあまりが残されているばかりである。過去の海岸線の位置と岸和田城の規模を示すものとして貴重な遺構である。

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