勝連半島の東に位置する屋慶名(やけな)地区は、戦前までは本島東海岸の中継港として栄えた歴史を持ち、戦後になってからもNo.2862 平安座西公園などに登場した海中道路が通じる前は与勝諸島への定期船が出ていました。
行政・商業などの施設も集まる大きな集落だったので、那覇からの路線バスの終点になる屋慶名バスターミナルもあり「行ったことがなくてもなんとなく名前を知っている」場所になっています。
地区の中ほどを屋慶名川が流れており、川の東が東屋慶名。
そこに少しお店が集まっている交差点があって、交差点名は屋慶名(東)ですが、そこにあるバス停は東屋慶名です。
この交差点から20メートルほど入ったところに、屋慶名東公園があります。
敷地はかなり変形で、一般の住宅を挟み込むようなV字型をしています。
V字の斜め棒のひとつから園内へと進むと、
V字の尖っているあたりに、コンクリート製のタコ滑り台。
かなり色が抜けて白くなった上から黒い汚れが付いて、ゼブラ柄っぽくなっています。
全国的に見かける「左右に広がったタコ」型ではなく、前後に少し長い形をしています。滑り部は、前に2本、後ろに3本。
頭の方に上るのは、こちらのステップから。ステップがある足の下もトンネルになっており、滑り台とはまた別の遊びができるようになっています。
でも落書きや傷みが激しいため、楽しく遊ぶ雰囲気からは遠くなっているのが残念です。
そして、入ってきたV字の斜め棒とは違うもう一つの方には、わりと新しい複合遊具が置かれています。
敷地形状にあわせて細長く、階段からネットの橋、ラダートンネルなどを通って滑り台に至る構造になっています。
遊具に取り付けられたプレートには、おなかに「うる」と書かれたうるま市のマスコットキャラクター、うるうららが描かれています。
でも黒い体に大きな白抜きで名前が書かれていると、どうしても島田啓三作・冒険ダン吉の家来たちを思い出してしまいます。
ダン吉の場合は、南洋で原住民たちを家来にしたものの皆まっ黒で「誰が誰なのかさっぱり分からないから、植物の白い汁で、お腹に番号を書く」という手段に出ており、今日的にはとても認められないような振る舞いなわけですが、うるうららはどうしてお腹に名前があるのでしょうか。
白いタコと黒いヒトが記憶に残った屋慶名東公園でした。
おまけ.
公園とは直接関係ないのですが、東屋慶名は、バンドHY(エイチワイ)の出身地でバンド名もHigashi・Yakenaの頭文字から採られているのは有名です。
が、だからといって現地で東屋慶名のことをHYと表記すると、かえってなんだかよくわからなくなってしまうと思うわけです。
(2021年7月訪問)
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