2873/1000 浜の宮公園(兵庫県加古川市)

2021/11/03

加古川市 巨樹巨木 戦争遺跡 大きな公園 兵庫県

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加古川市南部の尾上(おのえ)に「はまのみや」と呼ばれる浜宮天神社があります。この天神社の周りは江戸時代から有名な松原で、今も数千本の黒松が育っています。
浜の宮公園は、約15.9haの大半がこの松林となっており、野球場やプールもあるのですが、とにかくマツ・マツ・マツの公園です。

野球場の周りはグルリと松林。

外野スタンドには観客の代わりにマツがいます。

大きなスライダーや流れるプールを備えた市民プールも松林の中。水面が緑色に見えるのは、松の緑が写っている...わけではないと思います。

遊具広場も松林の中。周りのマツが大きいので、複合遊具が小さく見えます。

ディスクゴルフのコースも松林の中。ゴールに入れることよりも、松林の中を縫って正確に投げることのほうが難しいのではないかと思うほどです。

公園内のシンボルモニュメントは、当然のように松葉と松ぼっくり。

どこを撮ってもマツなので、どうにも画面が決まりません。
また、よその松原と比べて密な割にはよく育っているところが特徴で、松林なのに林下が少し暗く感じるほどなため、カメラの絞りの調整もけっこう難しい状態です。

どこを見ても大きなマツなのですが、ひときわ大きく育っているのが、浜宮天神社の参道沿いのものです。
ほかのマツは高さ10~15メートル前後くらいのものが多いのに対して、参道沿いは20メートル超級がずらずらと並びます。いずれも測ったわけではなくブログ作者の目測ですが。

そこで気づいたのが、作者自身”江戸時代から有名な松原”という枕詞に惑わされていましたが、「参道とそのほかの園内のマツは、植えられた時期が違うんじゃないの?」ということです。

そこで早速、国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で、1947年(昭和22年)8月20日撮影(整理番号:USA,コース番号:M417,写真番号:30)の状況を確認してみると、参道(画面の上部で左下から右上の方向へ続く直線的な部分)だけに黒っぽい樹木が並んでおり、それ以外は白っぽい裸地が広がって、ろくに樹木など生えていない剥げ地になっていたことがわかりました。

つまり大半のマツは、戦後に植えられた60~70年生以下のものだということで、GoogleMapの2021年撮影の衛星写真と比べれば、その差は歴然としています。
時間をかけてこれだけの松林を育て、松枯れの大流行も乗り越えてきたのですから、加古川市の方々はもっと自慢しても良いと思います。

では「なぜ戦後はひどい禿げ地になっていたのか」ということについては、園内に痕跡と解説板がありました。
戦時中、この近くには陸軍の加古川飛行場があり、その関係で1944年に国有林だったところを切り開いて陸軍航空通信学校尾上教育隊という軍学校が置かれたからだそうです。

■現地の解説板より
当公園内には、戦前、旧陸軍(大阪陸軍航空通信学校尾上教育隊)の兵舎が建設され、約1,500人の隊員が駐留していました。
戦後まもなく建物は取り壊されましたが、最近まで数多くの基礎石が存在していました。
ここにあの不幸な歴史を二度と繰り返さないことを誓い、基礎石の一部を保存し、後世に伝えることにしました。

1,500人もが暮らして訓練を受けていたのであれば、校舎や宿舎などかなりの数の建物が並んでいたでしょうし、教練のための運動場なども作られたでしょうから、樹木がほとんど無くなっていたことも納得です。
建物跡の周りに見えるマツたちも、ぜんぶ戦後に植えられたもの。

先程と同じ1947年の空撮で加古川飛行場の状況も確認しておくと、写真左の方の三角形状に滑走路が見えているところがそれにあたります。浜の宮公園からは、1キロ足らずの距離です。

軍用地を市民のものとして開放し、立派な松林を育てた浜の宮公園でした。

(2021年9月訪問)

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