加古川市の別府(べふ)といえば、わが国有数の肥料メーカーである多木化学を抜きにしては語れない地域です。
江戸末期に別府村の地主の子として生まれた創業者・多木久米次郎(たき・くめじろう)は、家業を継いだ後に農村振興に大いに傾倒し、その手段を良質な肥料の製造に求めます。
1885年(明治18年)には人造肥料の製造を開始、製造品目の拡大とともに別府に設けた工場も大きくなり、1921年(大正10年)には工場への貨物輸送を主たる目的として別府鉄道(別府軽便鉄道)を開業します。
昭和も終わりに近づいて鉄道貨物輸送が縮小されたため、1984年(昭和59年)に別府鉄道は廃線となったのですが、廃線跡のほとんどが緑道として整備されたため、これまでにもNo.1150 大中遺跡公園やNo.2433 であいのみちで跡地が登場しました。
そして今回は、そんな別府鉄道と山陽電車との乗換駅だった別府駅の目の前にある別府公園を訪ねます。
下写真で、中央を走るのが別府鉄道の廃線跡、左手が公園、奥に見える高架が山陽電鉄です。
と、地域の特徴から書き出しましたが、別府公園の中には、特段の別府鉄道要素はありません。
あえて挙げれば倉庫として置かれた鉄道コンテナがあるのですが、別府鉄道の時代は有蓋貨車だと思うので、どこかほかから持ってきたものではないかと。
ちなみにコンテナ倉庫の横の鉄棒は、なぜか地面との水平が取れていません。コンクリート基礎の出方も不揃いなので、地盤が沈んでいるのかも知れません。
園内で目立っているのは、駅に一番近い出入口のすぐ横にある石の山遊具です。
いわゆる人研ぎ滑り台なのですが、ここのものは中に土が詰まっておらず、全体が(おそらく)鉄筋コンクリートのドームになっている構造です。
なので、ここから山の中へと入り込んで、
こんな隠れ家みたいなところで遊ぶこともできます。
そのほかに金属製の滑り台、
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