JR松本駅から北へ2~3分ほど歩くと、かつての松本城の外堀であり、城下町の舟運を支えた女鳥羽川(めとばがわ)に突き当たります。
この川沿いに、分銅町公園があります。
公園の近くに建っていた旧町名の案内板によれば、分銅町は道路開通に尽力した犬飼家の屋号に因むものだそうです。じっさい、今も公園のそばに犬飼ビルというのがあったので、この付近で長く商売をされておられるのかも知れません。
【分銅町】明治35年に篠ノ井線が松本まで開通し、松本駅と糸魚川街道の今町に通じる道がつくられた。その開道に功績のあった犬飼久左衛門・同孝吉父子の屋号「分銅屋」に因んで分銅町と付けられた。
さて分銅町公園。
女鳥羽川の流れを意識してのことでしょう、公園には小さなせせらぎが作られています。「せせらぎ公園」という愛称も付けられ、立派な石の園名板が設置されているほどです。
正式名称のはずの「分銅町公園」としての園名板と比べると、愛称の方がずいぶん立派だし、目立っています。
ややこしいので、はじめから「分銅町せせらぎ公園」くらいの公園名に落ち着けることはできなかったのでしょうか。
そんなこだわりのせせらぎですが、全体的に掘割風の仕立てになっており、柳が風にそよいでいます。
おそらく、城下町の時代は女鳥羽川が舟運に使われていたことをイメージしてのものでしょう。
トイレも蔵屋敷風の外観をしています。
全体的にはせせらぎ沿いでゆったりと休んだり、ちいさな子供をちょっと遊ばせるくらいの施設内容で、遊具は木製の2連ブランコが1基あるだけです。
この公園にも、No.2847 松本駅前記念公園で見たような開道記念碑がありました。No.2847でも変な場所に押し込められて、あまり大切にされているようには見えなかったのですが、ここでも倉庫の裏の窮屈なところに置かれています。
先に引用した旧町名の解説板のとおりなら、ここには犬飼久左衛門さん、孝吉さんのお名前があるのかと思いましたが、別の犬飼通作さんの名が刻まれていました。篠ノ井線とはまた別の道の記念碑なのかも知れません。
でも「通作」も、開道碑に名を残すにはピッタリなお名前のようにも思います。
細長い園内にいろいろ伝える分銅町公園でした。
(2021年7月訪問)
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