2727/1000 上住吉西公園(大阪市住吉区)

2021/05/07

身近な公園 大阪市住吉区 大阪府

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大阪の住吉大社は、古代より海路平安の神として広く信仰されてきた大きな神社です。
参道は海(西)に向かっているため、今も社域の西側には南海・住吉大社駅や商店街がある賑やかな地区なのですが、神社の裏手にあたる東側は伝統建築も多く残る住宅地区になっています。

そんな地区の一角にある上住吉西公園は、路地の奥の方にあって、あまり目立たない小公園です。

ほぼ全体がフェンスに囲まれた一面の広場になっており、施設といえばパーゴラとベンチくらいです。ホントのご近所さん、それも子供たちが走り回るための専用施設といった雰囲気が漂います。

そんな上住吉西公園をわざわざ訪ねてくる人がいるとすれば、こちらの石碑が目当てでしょうか。
かの一休禅師が京都の戦乱を逃れて、一時期暮らしていた場所がこのあたりであったと記されています。

■現地の解説板より「一休禅師牀菜庵(いっきゅうぜんじ しょうさいあん)跡
室町時代の臨済宗禅僧として名高い一休宗純(1394~1481)は晩年の一時期、住吉に仮住まいしていた事があります。文明元年(1469)、応仁の乱の兵火を避けて京都を離れた一休は、大和から堺に入り、八月には住吉に移ったといいます。
当時は坂ノ井村(今の住吉区上住吉から南住吉付近)に作られた庵は雲門庵(雲門寺)と呼ばれました。文明八年にはその隣に牀菜庵(しゅうさいあん)を営んだといわれ、そこで記された「床菜庵法度」が残されています。堺の豪商尾和四郎左衛門は常にこの庵を訪ねて一休と議論し、弟子となって宗臨と号したとの事です。
庵の跡は江戸時代になると既に荒廃していたようで、今ではその正確な位置は分かりませんが、旧坂ノ井村西部のこの付近であったとされています。
大阪市教育委員会

急にトンチ畑のことを思い出してしまった上住吉西公園でした。

(2021年4月訪問)

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