昭和の時代には、今の公園がある場所には志里池小学校があり、その東隣の長田中学校の敷地に含まれているところに旧・志里池公園があったのですが、阪神・淡路大震災後の小・中学校の統廃合や建替えに伴って敷地が入れ替えられ、今の姿となっています。
そんなわけで、公園のエントランスには鉛筆と三角定規のモニュメントが置かれています。
それとは別に、「神戸市立志里池小学校発祥の地 昭和11年4月」と記された石碑もあります。
隣に立つ解説板によれば、小学校の正門の階段を再利用してつくられているのだとか。
■現地の解説板より「旧志里池小学校思い出の庭」
この志里池公園は志里池小学校跡地に建設されました。小学校は昭和11年4月より平成9年9月まで素晴らしい歴史を歩んできました。 これらの歴史を未来に継承すべく、児童・保護者・地域の方々が利用されてきた旧正門の階段を使ってこのモニュメントは作られています。
かつては学校として多くの子供達の学習や運動する姿を61年間、見守ってきましたが、新たな地域の方々や子供達の遊ぶ姿を静かに見守り、歴史を刻んでいくことになりました。
石碑では具体的に触れられていませんが、園内にはほかにも古い石材を使って整備したような箇所があるので、もしかするとこれらも小学校の材料を再利用しているのかも知れません。
この出入口など、すぐ隣にももう一つ出入口があるので、利用上はなくても良いくらいなのですが、地域のシンボルである高取山への直線的な見通しを演出したくて作ったものと思われます。
階段を上ると、こんな風に正面に高取山が見えます。
広めの敷地なのですが、グラウンドなど大面積の施設は作らずに、中央に不整形の土の広場を置いて、周囲は草芝、花木、舗装などを組み合わせたスペースを広めに取っています。
複雑な仕立てではないのですが、鉄道や高速道路なども近くてやや粗雑な印象のある市街地の中にあって、落ち着ける空間になっています。
遊具は、中学校や市営住宅に近いところにまとまって配置されており、複合遊具、ブランコ、揺れる動物遊具などがあります。
下写真で動物遊具の後ろに見えている青いピラミッド型のものは、いわゆるロープピラミッド遊具とは異なり、青い鋼材で不動のピラミッドフレームをつくった中にロープネットを張ってジャングルジムのように遊べる形にした遊具です。あまり見たことがないので近くで写真を撮りたかったのですが、人気の遊具らしくずっと子供たちが遊んでいたので、またの機会にします。
複合遊具は、やや背の低いタイプのもの。
ブランコは2連のものが設置されています。
中学校との間に通る園路だけ妙に幅広なのは、災害時の車両進入などが想定されてのことかも知れません。
「災害時の避難や救援のため、いずれも公共用地である中学校、公園、市営住宅敷地を一体的に運用する」などというのは、防災計画を立てる時にはありがちな設定なのですが、園路沿いのパーゴラはとくに防災仕様というわけでもないので、本当のところはよくわかりません。(2020年12月訪問)
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