江野公園がある中宮地区は、榎並ノ荘土地区画整理事業として1932年(昭和7年)工事が始まり、10年をかけて今の街なみが形作られます。
その事業の中で1937年(昭和12年)に江野公園が開かれました。
低年齢の子供でも遊びやすい幅広滑り台とバケット式のブランコは、大阪市内の公園では定番の遊具です。
複合遊具も、どちらかと言えば低学年向けのコンパクトなものが設置されています。
タイヤは、とくに年齢層は問わないものですね。そもそも、遊具として安全点検の対象になるのかもよくわかりません。
安全点検といえば、太鼓橋のラダー遊具は補修のために使用停止になっていました。
よくわからないのですが基礎部分を掘り返していたので、地際部に腐食処理でも施すのかも知れません。
この東側にはパーゴラがあり、これで遊具コーナーとは空間を仕切る形で広場が配置されています。
広場も大・小に分けられており、遊びの内容によって使い分けることができるようになっています。
広場の北端まで行くと、立派な地蔵堂がありました。
この地蔵の横手が歩道と一体化させた小広場状になっており、そこにイマイチ使用状況がわからない水施設がありました。
これなのですが、赤っぽい上部のパーツから、柵に囲まれた下の排水路の方に水が吹き出されるのではないかと思うのですが、飾り噴水にしては無骨すぎるし、水遊び場にしては狭すぎるし、稼働状況がどうにも想像しづらいのです。
こういう水の施設を持ってきている理由は、おそらく公園の東を通る阪神高速の高架下に、かつて流れていた江野川の存在だろうと思います。
住宅地になる以前には流れていた江野川は、農業用水路として引かれた人工の川ですが、周辺が宅地化してからは農業用水としての役目は終えていき、50年ほど前に川筋は暗渠化され、高架下の自転車歩行者道として今に至ります。
訪ねてみれば知ることも多い江野公園でした。
(2021年3月訪問)
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