阪急夙川駅の西側は、地形的には六甲山系の山裾にあたり、かつては何本かの細かい谷筋に沿って多くの農業用溜池がつくられていたようです。その中の一つ、皿池の跡地?を現代的な用途に転換しているのが皿池広場です。
池の跡地?と、曖昧な書き方をしましたが、周囲の道路から見れば3メートルくらい下がったところに広場の地面があるので、形状としては池の形を保っています。
ただ、現在はそこに出入りする水の流れがコントロールされて、洪水防止のために必要な時にだけ水が貯まる雨水調整池となっています。つまり、水が入れば池、ない時は広場ということですね。
■現地の解説板より「皿池のはたらき」西宮市は、皿池の調整池機能を高めるため、昭和62年度から平成2年度にかけて、特定保水池整備事業を実施しました。調整池とは、洪水を一時貯留し時期を遅らせて放流するための施設で、河川の氾濫を抑制する効果があります。
ですので、水が入ってきたときは、下写真の黒いフェンスに囲まれた洪水吐の高さまでは水浸しになってしまいます。
もともと池だったところを改造して今の状態にしているので、とくに水が流れ込んでいない時でも、なんとなく地面が湿っぽいように感じます。
水深を示す柱には3メートルまで目盛が刻んであります。
現地の解説板によれば、できてから30年ほど経過していますが、実際のところ何回くらい水に浸かったのでしょうか。
また、広場部分が水に浸かっても、外周部分の土手状のところは歩けるようになっています。
ところで、この池の西側に、盛土された線路跡が残っています。
これは旧国鉄時代の引込線の遺構で、大正時代から、この先にあった小丘を切り崩して土砂を採り、東海道線を経由して神戸臨港線の盛土工事に運んでいたそうです。
ネット情報によれば引込線の敷設は1919年(大正8年)とのことで、いつまで使われたのかはわかりませんが、神戸臨港線の主要部の開業は1928年(昭和3年)なので、長くても10年足らずなのでしょうか。
土採り場の跡地には鉄道用の変電所が建てられたため、引込線としての役割を終えた盛土も、そこから東海道線までの高圧線の用地として平成の終わりごろまで使われていました。つい数年前までは送電鉄塔が並んでいたのですが、いつの間にか基礎だけ残して撤去されていました。
まちのなかの凸凹を観察した皿池広場でした。
(2021年1月訪問)
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