イルカ公園は、沖縄市東部の海岸沿いの住宅地にある小公園で、その名のとおりピンクイルカの滑り台がシンボルです。
一見すると区画整理事業で生み出された新しい公園で、実際にそうなのですが、じつはこの場所は100年以上前に「アシビナー」としてつくられた跡を公園として再整備したものだそうです。
アシビナー(遊び庭)は沖縄の言葉で、集落の人がお祭りや踊りのほか、多目的に集まって使う広場のことです。
■現地の碑文より「泡瀬遊び庭(大衆広場)」跡の碑
泡瀬村は、1903年に高原村泡瀬屋取が分離し、創設され活動の場として「アシビナー」が造営された。村の南北に走る東大通り商店街と東西の中通り商店街と交差する位置に隣接した村の集会場であった。
近隣の村々から農産物等を売りに来る青空市場、娯楽会場(村芝居)、協議集会場や相撲競技も催されるなど村人の憩いの広場であった。
面積は7~800坪の四角形で周囲には太さ1メートル強の数本のアコウー(ウスク)の大木が生えて枝振りは広場全体を被う日陰になっていた。
1945年には、米軍の占領下で避難収容所や食料配給場であったが、後に避難民は現うるま市に強制移住させられて土地は接収され住宅と共に「アシビナー」も消失した。
1977年に沖縄県泡瀬土地区画整理事業で「アシビナー」跡は沖縄市管理下の「イルカ公園」として整備された。
ここに泡瀬の久遠の発展を願い「泡瀬遊び庭の碑」を建立する。2015年10月30日 泡瀬復興期成会
アシビナーを名乗る公園は今までにもいくつか登場しましたが、いちど失われたものを、ハッキリと同じ場所で再整備したという例は初めてです。
そんなアシビナーなイルカ公園ですが、約2,600平米の標準的な大きさの街区公園で、全体的には大きな芝生の広場、一部分だけが舗装されてバスケットコートになっています。
バスケットコートは100年前にはなかった遊び方ですが、今の沖縄では人気の遊び場です。
あと、小学生に人気がありそうなのが、細長い楕円形のコースを持つターザン遊具。
上手に体重をコントロールすれば一周できなくもないのですが、たいていは片道20メートルほどの範囲で遊ぶことになりそうです。
レール部分が金属剥き出しなため、ややもすれば硬質なイメージになりがちな遊具を、擬木の柱がソフトに支えています。これのお陰で都会的な「モノレール」遊具ではなく、密林の間を駆け抜ける「ターザン」遊具になっていると言えましょう。
こちらの少し不思議な形をした東屋も、いい感じの擬木です。東屋本体から張り出している四角いフレームのような部分には、テントでも張って使うのでしょうか。
(2020年9月訪問)
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