そんな泡瀬ビジュルの隣にあるビジュル公園。かつて児童公園と呼んでいた時の園名板を、制度変更の際に「児童」の字を埋め潰してあるのは沖縄市では通例です。
ほかとは少し違う環境に置かれたビジュル公園。これからもっと樹木が大きくなると、また風景が変わっていくことでしょう。
(2020年9月訪問)
遊具は木製フレームの1人乗りブランコだけ。
少し寂しいようにも見えますが、周囲は埋立地に計画的につくられた住宅地なので、ほかにも遊びに行く公園はあるということで、ここでは控えめです。
あとは、施設といえば大きな屋根の休憩所くらいです。
埋立地なので、公園整備の際に植えられたと思われる木々も大きく育っており、ビジュルの景観づくりに役立つようになっています。
で、公園側からだと裏口のような入り方になってしまうのですが、こちらが本体の泡瀬のビジュルです。もちろん、本当の本体は祠の中に祀られている石なのですが。
■碑文より「泡瀬ビジュルの由来」
泡瀬はその昔、「あせ嶋」「あわす小離」と称され、高原村より東へおよそ9町、隔海に突出した無人の小島で、自然に形成された砂州と南西には広い干潟を有していた。1768年頃、読谷山間切の在番役を退役した樊氏髙江洲義正は初期の開拓者としてこの地に入植し、広い砂州と干潟を開発して、農耕のかたわら塩を炊き安住の地をここに定めた。
ある日、漁撈に出た義正は海面に浮かぶ霊石を見つけて持ち帰り、霊験あらたかなるビジュル神として、島の西側磯のほとりに石祠を建てて、安置し、信心したのがビジュル信仰の始まりと言い伝えられている。
(2020年9月訪問)
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