みなぎく市民公園は、No.701 雪御所公園から西へ、石井川を渡った向かい側にある狭小なオープンスペースです。
神戸市独自の制度「市民公園」として公開されているようですが、ほぼ石碑のためだけのスペースと言ってもよいと思います。
石碑は「隣保家記念碑」となっており、皇紀2600年を契機に建てられたもののようです。
隣保家は、いわゆる隣保、隣組。戦時下の日本で国民の統制・相互監視のために政府主導でつくられた民間組織です。
碑文はかすれているところもあって読みにくいのですが、右1/3ほどは、「近時人心動揺シ...」で始まり、隣保家の素晴らしさや心意気が滔々と綴られています。
左2/3ほどは、「個・家・隣・全・天」と書かれており、個人よりも家、家よりも隣保、隣保よりも全体、全体よりも天(天皇)を大切にすべきといった、当時の価値観が書かれているようです。
現地ではこれ以上の情報が得られなかったので帰ってからネット検索してみると、国会図書館のWeb公開資料に、中央教化団体聯合会編『都市の隣保協同組織と常会』(昭和14年発行)というものがありました。
ものとしては全国向けだと思われるのですが、なぜか神戸市湊区(現在の兵庫区北部)での隣保組織のことが事例的に詳しく書かれており、140ページほどのうちの120ページくらいが湊区の話になっています。
「向こう三軒両隣が一つによって、もって一つの家族愛を実現する。それ自らの家族観念をしてさらに国民生活の大義にまで拡充し、互に一家族となって睦み合い、大和の心気にひたって、真実自他結びの生活を営むのである。これが我が国民本来の営みの隣であり、この生活によって、始めて大和民族の大理想と大理念を了解し得るものである」
と記されています(p.18)。まさしく「個・家・隣・全・天」ですね。
さらにこの本が面白いのは、70ページくらいを費やして「常会実況」という、隣保の会合ではどんなことを話すのかというシナリオ?が掲載されているのですが、これが
場所:西洋洗濯屋の店の間、6畳、4畳半間のガラス障子を外している玄関口である○ 「✕さん、あんたはんから一つ...」✕ 「ようございます、では皆さん、急にお呼びをしまして恐縮でしたが、実は今日、第2隣保の藤森さんの若い衆が、青年学校の方で防毒面を借りてきてくださったものですから、一つその実物を見ながら皆さんで研究をしていただきたいと思いまして...」
といった感じで、さまざまなシチュエーションごとの隣保常会の会話が、それこそ落語の台本のように綴られているのです。表題だけならべても「隣保と防空演習」「家移り」「街の父、街の母」「お節句と隣保」等々、落語だと言われても通るようなお題ばかり。
そのほかにも、「1938年(昭和13年)の阪神大水害の時に隣保家がどれほど役に立ったか」という体験談がたくさん載っていて、この大災害も石碑建立の背景として考えられるなど、いろいろな意味で興味深い本でした。
とりあえず、この本から想像されることは、「兵庫区の隣保は全国的にも紹介されるほどの存在で、だからこそ大きな石碑を建てた」のではないかということです。あくまで想像ですけれど。
資料にあたってみたら思いがけず戦時下の神戸の様子を知ることになったものの、「隣保家」をなんと読むのか、「りんぽや」「りんぽけ」「りんぽか」...がわかならいままの、みなぎく市民公園でした。
(2020年9月訪問)
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