そんな春日神社から西へ50メートルほど離れたところに、阪神・淡路大震災からの復興事業の一環でつくられた神前ふれあい公園があります。
もう一方の出入口に回ると、車止めがあって管理用の軽トラくらいは乗り付けられるスペースが確保されているのですが、肝心の進入路がないので、これは将来に備えてのものだと理解しておきます。
出入口の横にはベンチがあり、その背に当たる部分に「メモリアル手形陶板」が展示されています。この公園の整備時に、神前町に住んでいた子供たちの手形だそうです。
■現地の陶板より「神前ふれあい公園メモリアル手形陶板」
神前ふれあい公園は、阪神・淡路大震災からの復興を目指して”協働のまちづくり”によってつくられた公園です。
このメモリアル手形陶板は、公園の竣工を記念して愛着を深めるために、神前町在住の子供達の手形を焼き付けたものです。平成12年10月 神前町まちづくり協議会
カメラを持った手を植込の下に突っ込んで撮影するとこうなっています。
さらに無理やり手首をひねって、なんとか文面などを撮影すると、どうやらこの付近でみつかった遺跡の解説板のようです。
しかしこのまま木に埋もれていると、陶板そのものが遺跡になってしまいそうです。
■現地の解説板より「都賀遺跡」
都賀遺跡は、六甲山南麓を流れる都賀川東側一帯の標高約40メートル前後の扇状地上にある縄文時代から江戸時代まで続いた遺跡です。遺跡は神前町3丁目から4丁目にかけて広がるものと推定されます。当遺跡の発掘調査は、昭和62年から市営住宅の建替えや、道路整備などに伴って実施してきました。
調査の結果、当遺跡では縄文時代の初め頃(今から約8,000年前)の土器が見つかり古くからここに人々が生活していたことがわかります。
また、弥生時代の中ごろ(約2,000年前)には集落が作られたようで、住居跡は見つかりませんでしたが、当時の墓地の跡が見つかっています。お墓に供えられた土器も見つかっています。
弥生時代の終わりから古墳時代初めころ(約1,700年前)の竪穴住居の跡も見つかっています。また、平安時代の建物の跡なども見つかっており、ここに長く人々が住んでいたことがわかります。平成12年10月 神戸市教育委員会
やっと園内に入ります。
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