紙屋公園は、京都市街市の西の方、鷹峯から流れ出た紙屋川(天神川)沿いの谷斜面にあります。下写真で、川沿いから眺めた左手が公園なのですが、この付近では紙屋川によって削られた深い谷が続いており、道から斜面上段までの高低差は10メートルほどあって小山のようにそびえています。
豊臣秀吉が御土居を築いた時に、この付近では斜面上部に更に盛土をして高低差を激しくしたという話も聞くのですが、詳しいことは知りません。
園内は、大まかに川に近い部分と斜面上の町に近い部分とに分かれており、上下は階段とスロープとで繋がれています。
下段から入ると、雲をつくように大きなケヤキが目立っていました。街中の児童公園で、ここまで大きく育つものは珍しいように思います。
「区民の誇りの木」だそうです。さもありなん。
ケヤキの足元には、ゾウのような雰囲気を出しているジャングルジムと滑り台との複合遊具があります。
上のケヤキの写真にも写っているのですが、ケヤキが大きすぎるために目立てていません。
ジャングルジムの部分が、単純に立方体や直方体を積み上げたものではなく、滑り台につながる前の方が高く、後ろに行くにしたがって低くなっているところがゾウの体のように見えます
ゾウの鼻の部分の滑り台は、最近はあまり見なくなった2本の鉄パイプに跨って滑るタイプです。
あとはブランコやシーソー、砂場などが下段にあります。
砂場は、もうあまり人気がないようで、すっかり草に覆われていました。
上段側にもう一つあるので、園内での競争に敗れたのかも知れません。
もう一度ブランコの写真が登場しますが、奥の方の擁壁の高さで、公園の上下の高低差を感じ取れるかと思います。
で、やってきました上段側。
写真の左半分に写っている樹は下段側から生えてきたケヤキですが、上段から見ても十分に大きいですね。
京都市標準のコンクリート滑り台。とその後ろに、国旗掲揚台。
紙屋公園が開園したのは1941年(昭和16年)ですので、なにかと日の丸を掲げる機会が多かったのでしょう。コンクリート造のしっかりした掲揚台で、周りを石垣で囲ったりもして作りこまれています。
地面に旗竿の尻をはめる穴を開けているあたりも、なかなか実用的です。
それからもう一つ、植栽やフェンスで区切られた幼児用の遊び場もあります。
こちらも京都市標準の小型コンクリート滑り台と、砂場、動物遊具などが設置されています。
京都市の公園では、古い時代のものでも、このように元気のよい小学生と幼児たちとの遊び場を分けていることが多く、当時の設計思想が今に残っています。
上段でも視界が開けたところに立つと、金閣寺の向こうにある左大文字がよく見えました。
と言っても、肉眼ではよくわかっても写真にするとわかりにくいので、無理して拡大してみました。奥の山の、木が生えていないところが「大」の字の形になっているのがわかるでしょうか。
洛中とはまた少し違った、それでいて京都らしい趣のある紙屋公園でした。
(2020年6月訪問)
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