「浦の城」の名は、鎌倉から室町時代にかけて、この地に少弐氏が築いていた城の名から採られていますが、現在は宅地造成によって地形は大きく改変されており、城跡を偲ぶものは記念碑と解説板くらいしかありません。
住宅地の隅の方で、使い勝手の面ではあまり良い場所ではありませんが、南北に細長い敷地の南端付近に、子供向けには2連ブランコ、大人向けには背伸ばしベンチなどの健康器具が設置されています。
そして、北の方を眺めると、敷地の一部が小高くなっており、低灌木に囲まれて石碑や祠が集められた一角があります。
近づいては見ましたが、周りのツツジなどが少し育ちすぎていてわかりにくいのですが、大きな岩場の上にあるようです。造成の時に動かしにくかった岩の上に、もともと付近にあった祠や石仏などを移してきたのでしょうか。
区画整理の記念碑はハッキリと書いてあるのですが、それ以外の祠などはどういう謂れのものかよくわかりませんでした。
そして、この一角に浦ノ城跡の解説板が建てられています。
少弐氏は鎌倉時代から南北朝にかけて大きな勢力を持っていたので、足利尊氏のほかにも、南北朝の主要人物が幾人か滞在したことがあるそうです。
■現地の解説板より「浦ノ城跡」
筑前国の守護、少弐氏の居城と伝えられる。
城の構えの詳細はわからないが、昭和44年、開発に伴う発掘調査で、御笠川と、コの字形の急峻な斜面をもつ丘陵とを巧みに利用して造られていたことが判明した。
少弐氏の六代頼尚は足利尊氏を助けて、浦ノ城北側の原山の一坊に尊氏を迎えている。
太宰府市
いささか名前負けの感もありますが、この公園に来なければ詳しく知ることもなかったお城のことを教えてくれた浦の城公園でした。
(2019年11月訪問)
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