福岡県の嘉穂(嘉麻市)から田川市へ行こうとした時に、峠道沿いに大きな園名板を見つけた清正公園。
「きよまさ」と読むのか「せいしょう」と読むのかもわかりません。熊本では「清正公」と書いて「せいしょこ」と読みますが、福岡ではどうなのでしょうか。
また公園本体は急な坂道の上にあり、いったいどんな公園なのか見当もつきません。
そこで、坂道をのぼってみると、このようになっていました。
鳥居があって、公園というよりは手入れの行き届いた村の神社といった風合いです。
鳥居の下から、園内を眺めたところ。小さいのですが、社殿が一番奥に見えています。
こちらの石の祠が社殿でしょう。横の木製の祠は、どなたでしょうか。
で、石祠を覗いてみますと、そこには雛人形のようにかわいいお姿の清正公が鎮座ましましておられました。
光るガラス越しでうまく写せていないのですが、加藤家の蛇の目紋、桔梗紋の垂れ幕もかかっています。
そもそも、この町には益富城という城があり、ここを豊臣秀吉が攻めた際に加藤清正も出陣しているので、おそらくこの地にも加藤清正に関わるエピソードがあるのかと想像します。
詳しくは上のリンクをご覧いただければと思いますが、秀吉の策略で焼失されたかのように見せかけられた大隈の町はこちら。鳥居のところからすぐ下に見下ろせます。
きっと地元の方々が丁寧に守っているのであろう様子がうかがえる清正公園でした。
(2019年11月訪問)
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