おそらくは「埋立や開発によって失われる漁師町・糸満の自然や歴史文化を伝える」といった意図があって整備された公園だろうと思います。
しかし、ざっくりと3ヘクタールくらいある地上の公園で海とは切り離されていることもあり、すべて海と漁港ネタで埋めつくされているわけでもなく、園内はそれなりにバラエティに富んだ内容となっています。
まずは、敷地の北端にある「わんぱく広場」から。名前でだいたい想像がつきますが、子供向けの遊具・遊び場です。
とりたてて大型遊具があるわけでもないのですが、芝生の広場を中心にちょっとずつ目を引く物件が散らばっています。
例えば下写真のガケ滑り台は、埋立地なのでわざわざ盛られた2.5~3メートルくらいの盛土山を使っています。
そして、その盛土山の中に入っていけるようになっているので、導かれるように進んでみると、
中は円形の石垣に囲まれたスペースになっていました。
実際に入ったことはないのですが、沖縄の亀甲墓のことを思い出してしまいます。
そして、これがただの空閑地というわけでもなく、石垣そのものや吊るされたタイヤを使って遊べるようになっています。
つまりは、このスペース全体が遊具だということですね。
そして、この丘に繋がっている遊具がもう一つ。こちらのモノレール型のターザン遊具です。
丘の上側から見るとこうなっています。
楕円状に繋がったレールの勾配の付け方に工夫があり、反時計回りに進むことで、全長40メートルくらいのうち30メートル以上をぶら下がったままで楽しめます。
また、折り返し地点はこのようになっているため、直線的な滑降だけではなく、遠心力で外に投げ出されそうになる感覚も楽しめるところが優れものです。
ただ実際に動かしてみると、所々で引っかかってカクカクした動きになっていたのは玉に瑕。
盛土山に繋がっているものは、もう一つ。こちらのトイレです。
このように丘から階段が繋がっており、トイレの屋上に登ることができます。
もっとも、私が訪ねた時は柵が付けられて階段は塞がれていました。
でも反対側に回れば、ちゃんと別の階段があるので大丈夫です。
このように、さほど広いわけでもないトイレの屋上に登るための階段が3本も付けられているところから、これが実用的なものではなく、遊具の延長線上のものとして作られていることが想像されます。
階段が3本とも使用できる状態で、鬼ごっこや隠れんぼのキー・ポイントとして使いこなすと面白いのですが。
上に掲載した園内図にあった「大漁丸」など一部の施設は、すでに失われているのか、設置されなかったようです。
でも、盛土山以外にも、ブランコやロープピラミッドなどの遊具があります。
そのほかには、カメの形をした東屋。「海のふるさと公園」ですから、海のキャラクターは当然ですね。
じゃぁこっちは、と思ってみたらカタツムリでした。
砂浜に澄んでいるツメタガイは少しカタツムリに似ているけれど、それではないでしょう。
水飲み場はタコ。
こちらはフグでしょうか。
続いて、わんぱく広場とイベント広場との間に建つのが、謎の西洋城郭風の建物です。
イベント広場側から全体を眺めると、このように2棟の建物が回廊で繋がった状態となっています。
この回廊部分はステージとして設定されているようです。
使用時には、白い柱の間を塞がねば使いにくいと思いますが、おそらくは長年の間に可動壁のようなものが失われて吹き抜けてしまっているのだろうと思います。
見た限りでは、とても沖縄の激しい台風に耐えられるほどもしっかりした建具が入っていたようには思えないのですが、実際はどうだったのでしょうか。
ステージ利用時の控室らしきものもありました。
しかし、ここで気になるのは、やっぱりお城部分です。
こちらも丘のトイレと同じく高いところまで登れるようになっているので、行ってみます。
建物本来の用途は倉庫らしく、ところどころに小部屋がありました。その間を縫って「迷路のよう」とまでいうと言い過ぎですが、複数の階段で上り下りできる小さな屋上がいくつも連なっています。
でもその分だけ人目の届きにくいところも多くなるため、落書きやタバコの吸殻などが多く見られました。
この落書きはなんと読むのでしょう「ミニテン?」
お城の上からイベント広場を眺めたところ。
遠くの方に埋め立てられた先の港が見えているので、このお城は「海のふるさと公園」としてはかかせない海への展望台として企画されたものだったのかも知れません。
どうしてお城なの?とい思いは拭い去れませんが。
さて、いよいよ公園のメイン施設とも言える海水池のあるエリアに入ります。
...が、肝心の巨大な海水池はからっぽ。
公園施設の中では、循環・揚水用のポンプは故障したときの修繕費が高く付く物件の代表格のようなものなので、自治体が財政難にあえぐ近年は、水が入っていない噴水などありふれたものになっています。しかし、ここのように競泳用の50メートルプールくらいの大きさがある池にまったく水が入っていないという姿は、かなり特殊例だと感じます。
この船などを浮かばせて「漁業体験ができる」ことを売り物にしていたのかも知れませんが、それも昔のこと。
だいたい池が大きすぎるんですね。とても保持修繕や日々の運用を考えてつくったサイズとは思えません。
はからずも、昔の糸満を偲ばせる公園のはずが、遅れてきた沖縄バブル時代を思い起こさせてくれた糸満海のふるさと公園でした。
(2019年9月訪問)
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