No.2299 千駄木三丁目児童遊園と同じ町内にあるのですが、No.2299が坂下だったのに対して、坂を登る途中にある千駄木三丁目第二児童遊園。
この坂道は「大給坂(おぎゅうざか)」と呼ばれ、No.2297 須藤公園で名前だけ出てきた子爵・大給家の屋敷があったことから付いた名前だそうです。
面積は138平米で、No.2299よりもさらに一回り小さいサイズ。
遊具は滑り台と2連ブランコ。あとはベンチと手洗い場くらいしかありません。
ブランコは、防火水槽の横にチンマリと収まっています。
しかし、そんな小さな公園には不釣り合いなほどに大きなイチョウの樹があります。
じつは、このイチョウは、もともと大給家のお屋敷の中にあったもの。すなわちこの小公園はお屋敷の一部だったそうです。
■現地近くの解説板より「大給坂(おぎゅうざか)」
かつて坂上に子爵大給家の屋敷があったことから、大給坂と名づけられた。
大給氏は、戦国時代に三河国(いまの愛知県)賀茂郡大給を本拠とした豪族で、後に徳川家康に仕え、明和元年(1764)、三河西尾に移封された一族である。
現在残っている大銀杏は、大給屋敷の内にあったものである。この辺りの高台を、千駄木山といい、近くに住んだ夏目漱石は、次のようによんでいる。
「初冬や 竹きる山の なたの音」 漱石 1867~1916文京区教育委員会 平成3年3月
ちなみにこのお屋敷は、後に「あーうー」で名高い首相となる大平正芳のものとなり、彼が屋敷の一部を区に寄付して公園になったそうです。
と言っても、大平さんが亡くなったのは1980年、もう40年も前のこと。
昭和は遠くになりにけり、と感じた千駄木三丁目第二児童遊園でした。
(2019年7月訪問)
ブランコは取り壊されました。
返信削除ブログ作者です、最新情報のコメントありがとうございます。
削除なにぶん小さな公園なので、今の安全基準ではブランコが収まりきらないのかも知れませんね。
千駄木の方にもしばらく行っていないので、また機会を見つけて覗いてみたいと思います。