もともとは戦災復興区画整理で開かれた広幅員の道路でしたが、後に道路中央部分が都市公園として都市計画決定・開設され、青葉通り緑地となったそうです。
昭和の頃は飲食店、ホテル、映画館などが立ち並ぶ賑わいの中心地でしたが、徐々にそれが失われてきたことから、都市再生整備計画に基づいて緑地部分が多面的に活用できる広場状に再整備されたのが2010年(平成22年)のこと。
しかし、その翌年に東日本大震災が発生し、青葉通りも津波により大きな被害を受けました。
震災から2ヶ月後の2011年5月に訪れたときには、移動可能なガレキなどは片付けられていたのですが、普通の重機では動かせないような重量物だけが残っており、緑道部分は臨時駐車場として利用されていました。
2011年5月の青葉通り |
そして、震災から8年後に再訪した青葉通りは、改めてきれいに再整備され、夏祭りの準備などが行なわれていました。
その青葉通りの北端、突き当りにあるのが大只越(おおただごえ)公園、または青葉公園です。おそらく、正式名称が地名でもある大只越公園、青葉通りの北にあるために付いた愛称が青葉公園だと思われます。
が、訪問時には、公園内に仮設商店街とその駐車場が設けられており、一般的な公園としての利用は、ほぼ停止状態でした。
商店街とは言いますが、2階建ての軽量鉄骨建物で、中の部屋ごとに店舗や事務所が入居しているものです。
ちなみに、8年前の当該場所は、こんな感じでした。
海岸からは700~800メートル、川からでも500メートルくらい離れているのですが、この公園内まで津波が到達したため、地面がかなり削られています。
2011年5月の大只越公園 |
公園のさらに奥にお寺があるのですが、その門前には1896年(明治29)年に起きた明治三陸地震の津波慰霊のための仏様と、その横に東日本大震災の「津波到達の地」石碑が並んで建てられていました。
釜石市の中心で、津波のことを記憶にとどめつつ、伝統の虎舞で勇気づけられる青葉通り緑地と大只越公園でした。
(2019年7月訪問)
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