もともと平安京の羅城門があった唐橋羅城門町にある小公園。
真新しい園名板には「唐橋羅城門公園」と刻まれていますが、少し古い資料を見ると「唐橋花園公園」となっているので、どこかで名称変更が行われたのかも知れません。
...と言いつつも、唐橋花園町は、この公園から200メートルほど西に現存しているので、そのへんの経過や理由はよくわかりません。
公園としての開設は1937年(昭和12年)と古いのですが、時代とともに色々と姿が変わっているのでしょう、今は明治時代に建てられた史跡標柱と、滑り台が同居する不思議な公園となっています。
そしておそらく、石畳の道は公園区域外。
史跡標柱は、1895年(明治28年)製のものらしく、そろそろ倒れる危険でもあるのか、柵で守られていました。
もっとも、これがなければ、ここが羅城門跡だということはわからないので、大事にしなければならないことは確かです。
■現地の解説板より「羅城門跡」
平安京のメインストリートである朱雀大路の南端に設けられた、都の表玄関にあたる大門で、この門を境に京都の内外を分けた。弘仁7年(816)に大風により倒壊し、その後に再建されたが、天元3年(980)の暴風雨で再び倒壊した後は再建されることがなかった。11世紀前半に藤原道長が法成寺造営のため、門の礎石を持ち帰った記述が『小右記』にあり、この頃には門の礎石や基壇のみの姿となっていたと思われる。
付近の発掘調査では、羅城門に関わる遺構は見つかっていないが、東寺の木造兜跋毘沙門天立像(国宝)や三彩鬼瓦(重要文化財,京都国立博物館寄託)は、この門にあったものと伝えられている。
平成20年3月 京都市
ところで、解説板にある羅城門のイラストに、堀と橋が描かれていることがわかるでしょうか。これが町名の由来となっている「唐橋」だそうです。
でも、今の町名は「唐橋羅城門町」なので、どことなく主客転倒というか、しっくりこないところがあります。羅城門あっての唐橋ではないのか、と思うのですが。
そして、史跡標柱の周りには、京都市らしいコンクリート製の滑り台と、シーソー、鉄棒があります。
昔は鬼が住んだり、死骸の頭から髪の毛を抜く老婆がいたりしたことは忘れて、明るい場所になっている唐橋羅城門公園でした。
(2019年6月訪問)
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