現地には園名板などが見当たらず、公園名がはっきりしなかったのですが、手元の資料には敷地面積184平米の「農人町児童公園」が掲載されていたので、おそらくそれにあたると思われます。
上の写真を撮影した路地入口から、20メートルほど奥へ進むと、町の集会所のような建物があり、その奥が農人町のお稲荷さんです。
■現地の解説板より「お稲荷さんのいわれ」(主要部抜粋)
この地は、昔から古宮地(こみやぢ)と呼ばれ、江戸時代のはじめ池田輝政侯が慶長5年(1600年)播磨の領主として、姫路城に入り、その後慶長10年(1605)高砂に支城を築いた時、高砂神社をここに移転し、鎮座しました。
ところが、元和元年(1615年)大阪の陣で豊臣氏が滅亡し、一国一城が発令、高砂城は取り壊され、寛永2年(1625年)には姫路藩主本多忠政侯が高砂神社を城跡の元の位置に戻しました。
その後も、この地は宮地として正一位高砂稲荷大明神が祭られ、脇には地神さんとして、農業祖神天照大神ほか四神(六角石柱)も祭られ、「お稲荷さん」と呼ばれて町民に親しまれています。
石造りの鳥居をくぐって境内に入ると、玉垣に囲まれた境内に、トイレ、ベンチ、遊具などの公園施設が並んでいます。
とは言え、小さなスペースなので、アクションの大きくなる遊具はブランコくらい。
それも、設置場所の都合で、片足だけを砂場に突っ込んであるという変則仕様です。
あとは、コンクリート製の登ったり降りたり、潜ったりして遊ぶ遊具。
そして、コンクリート製の木の枝に、ハシゴがくっついた遊具があります。
青い方の木の枝のてっぺんまで登ると、隣の家の2階と同じ高さだということがよくわかります。
古い街なみの中に溶け込んでいる農人町児童公園でした。
(2019年5月訪問)
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