明治以降は遠浅の海岸を埋め立てて工場の進出が盛んになり、工業都市としての色が濃くなります。
そして近年は、産業構造の変化などがあって工場の撤退が続き、中心市街地には寂れた商店街や空地が目立つようになっています。
そんな高砂市の中心部にある高砂公園。これがまさしく、工場跡地につくられた公園です。
■現地の石碑より「高砂公園」
旧鐘淵紡績の正門通りをそのまま残した公園である。
明治40年(1907)に設立された鐘淵紡績高砂工場は、高砂の発展を支えてきたが、戦後の繊維業の構造変化に伴って、昭和50年代に入り工場閉鎖を余儀なくされた。
その工場跡地は、現在、高砂南高校、西畑住宅地そして高砂公園になっている。
高砂公園の東入口は工場の正門跡で、現在でもここから大木の並木路が続き、当時の面影をとどめている。
当時、工場内には、松、ユーカリなどの大木が多数植樹され、木陰にはベンチが据えられており、当時の高砂町長が「この工場はインダストリアル・パークだ」と賞賛したことが容易に想像できる。
工場だった当時、この正門から通じる直線的なビスタの先に何があったのかは知りませんが、約250メートルに渡って複線の並木道が続き、確かに紡績工場の入口とは思えない風格です。
とはいえ、ただひたすらに直線園路が続く形なので、今の公園としてみると、利用面では、やや持て余しがちな雰囲気もあります。
もう少しマツの足元が使える空間になっていればよいのですが。
もっとも、隣りにある高校の生徒達が周回走をするのには、ちょうどよいように思います。
カネボウの工場だった頃は、工場勤めの皆さんは、この直線道路をどのように使いこなしていたのでしょうか。
そして、マツ並木が売り物の公園だけあって、テニスコートの横に、マツに擬装した水飲み場がありました。
蛇口が見えない角度から撮影すれば、奥にある本物のマツと、まったく遜色ない仕上がりです。
擬木という工業製品の仕上がり具合に、インダストリアル・パークを思い起こす高砂公園でした。
(2019年5月訪問)
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