京都市中京区役所のHPには、次のように記されています。
「銅駝」の名称は,漢の洛陽から西域への起点に駱駝の銅像があり,平安京も中国の都制に倣ったので,二条より北,中御門辺り迄の左右両京の坊名を「銅駝坊」と称していたことに由来して,明治二年九月二十一日に開校した「上京第三十一番組小学校」を,明治八年に第二代目知事植村正道が,「銅駝校」に改名したと伝えられています。さすがは京都というべきの風格ある地名にあるのが、小さな銅駝公園。
その後「銅駝校」は戦後の学制改革で銅駝中学校となり,昭和五十五年以降は銅駝美術工芸高等学校となりました。「銅駝」は,東西文明の接点として美術工芸にもゆかりのある校名と言えるでしょう。校地は鴨川河畔より東山を望む絶好の位置を占めています。
引用文にも出てくる銅駝美術工芸高校の南側の、大きなマンションに囲まれた場所にあります。
地名は古いのですが、公園そのものは、隣のマンション開発に伴って整備された、比較的新しいものだと思われます。
美術工高の隣だからか、シンボルツリーの下に建つ休憩所(ガゼボ)は、この規模の公園ではあまり見ない、モダンなデザインのものが採用されています。
ガゼボの飾り窓越しに、美術工高の建物を眺めてみました。
ガゼボの隣にあるスツールも、なんとなく美術工高のレンガの外観を模したデザインになっています。
あえてスツールの大きさをバラバラに、配置も不規則にしているあたりにも、なにかしらのデザイン要素を感じてしまいます。...適当なことを書いていますが。
ついでに言うと、公園の横に建てられている「飛び出し坊や」は、美術工高の生徒さんがデザインしたそうです。
そのほかの遊具までは手が回らなかったのか、わりとよくある木製の小さな複合遊具が1点。
揺れる動物遊具も、よく見かけるクジラ型とラッコ型の併設です。
ちょっとだけ西洋風でオシャレな銅駝公園でした。
(2019年4月訪問)
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