「鶴の丸」がなんなのかは調べがついていませんが、日本航空のマークでないことだけは確かだろうと思います。
1978年東映映画「赤穂城断絶」より 大石内蔵助は萬屋錦之介 |
わかりにくいのですが、下が園内から塩屋門を見たところ。道一本隔てただけのところです。
ちなみに、この場所は赤穂藩に仕えた儒者、赤松滄洲・蘭室親子によって計画され、1777年(安永6年)に完成した藩校「博文館」が建っていた場所だということです。
■現地の解説より「博文館跡」家中の子弟教育のため、安政6年(1777)に塩屋門外に完成した藩校。落成にあたり赤松滄州・蘭室は「博文館学範」を制定し、教育の基本方針とした。
さて、そんなお城との関わりが深い場所にある鶴の丸公園ですが、公園としてはいたって昭和的なしつらえです。
東西に長い長方形をした敷地の中央に高木植栽を置き、東側が土敷きの広場、西側が遊具コーナーになっています。
ただ、西側の遊具コーナーは古いものばかりですが、一点ずつ見てみると個性的で、ちょっと気になります。
これはジャングルジムとラダー遊具、滑り台の複合遊具。
これは4連ブランコに、なんと呼ぶのか「鎖で吊るした遊具」が複合しています。
遊具自体の線が細いので写真にしても少しわかりにくいのですが、縦・横に吊るされた輪っかに乗っかったりよじ登ったりして遊ぶ、ブランコとはまた少し違った揺動型の遊具です。
砂場の横にはカラフルな遊び台、そしてパンダとヒツジの動物遊具もあります。
命名のいわれが気になる鶴の丸公園でした。
(2018年10月訪問)
「鶴の丸」は、浅野家の後に赤穂を治めた森家の家紋だったような。近くにある「鷹の羽」公園は、浅野家の家紋が由来ですから。
返信削除匿名様
返信削除こんにちは、ブログ作者です。コメントありがとうございます。
そして、なるほどなるほど!
どうにも赤穂というと浅野家のイメージが強すぎて、その後、幕末までずっと治めていた森家のことが、頭からスッポリと抜け落ちていました。
記事中に出てくる博文館が建てられたのは森家の時代ですから、きっとご指摘の通りの命名理由でしょう。
こんなにスッキリと謎が解けると嬉しくなります!
今後とも、拙ブログをよろしくお願いいたします。