No.1882で登場した鼻川神社。神社の名は「鼻」なのですが、付近の町名は「花」の字が用いられています。そんな花川の花川公園、ただし現在の町区分では柏里1丁目にあります。
園内にあった区画整理の竣工記念碑によれば、事業竣工が1942年(昭和17年)ということなので、公園もその前後に開園したものと思われます。
ただ、そのすぐ横に1992年(平成4年)に建てられた柏里幼児園の記念碑もあって、「幼稚園の跡地なの?」とも思ったのですが、公園内の施設は幼児園がなくなった後の平成に入ってからのものとも見えないので、あくまで「思い出の地」としての記念碑の建設場所として公園が選ばれたものではないかと考えます。
■現地の石碑より「柏里幼児園思い出の地」
手をつなぎ 育み重ね40年
四季に香る 幼児愛
平成4年吉日 柏里地区民生委員協議会建立岡田忠作詞 石原弘也書
全体的には古い時期の区画整理で作られたような構造をしており、長方形の整った敷地の中央に大きな花壇とパーゴラを置き、その東側を広場、西側を遊具コーナーにしています。
この中央部の花壇がなかなか立派なもので、少し離れたところに住んでいても散歩コースに入れたくなるほどの花の賑わいでした
こうした身近な公園の花壇は市役所ではなくご近所の方々手入れするものなので、関わっておられる皆さんの気合の入りようが伝わってきます。
遊具で目立っているのは、コンクリートの石の山遊具。山、トンネル、滑り台が組み合わさった形のものです。
その他には、滑り台、4連ブランコ、砂場など児童公園としてはオーソドックスなものが並びます。
あと、園内で目についたのは、所々に採用されている、妙に鋭角的なデザイン。
この変則五角形の砂場をはじめ、
ケヤキの植栽帯は三角の枡で囲まれ、
エントランス部分はギザギザに縁取られています。
俯瞰すると鋭角ぶりはそれほど目立たないのですが、ちょっと気になります。
設計した人が雲形定規を持っていなかったのかも知れません。
そして園内の桜の枝落としをした跡にあった猫の顔。
ちょっとした遊び心に、公園に対する地域の人の愛着が伝わる花川公園でした。
(2018年5月訪問)
今から58年ほど前、小学校入学前だった私は花川公園内にあった柏里幼児園(幼稚園と同じような施設ですが名は幼児園です。)に通っていました。幼児園の運動会などを花川公園内で行っていたことを覚えています。小学校に入学してすぐにこの地から引っ越ししたため、その後のことは知らなかったのですが、30年程前にこの公園に行く機会があり、既に園は無くなっていたこと、かつて園があったことを示す石碑があることを確認しなんだか寂しい気持ちになりました。
返信削除ブログ作者です。
返信削除まず「幼児園」の記載ミスを教えていただき、また今の公園内に幼児園があったことを教えていただき、ありがとうございます。さっそく記事を一部修正しました。
最近は都市部の人口減少や少子化が進み、幼稚園や小中学校の統廃合が多くなって、使われなくなった方の敷地を公園にすることが増えています。
せめてもの記念にと石碑を建てたり、施設の一部を残したりするのですが、それを見るのもまた寂しく「いっそ何もなくなっていればスッキリするのに」と思うこともあります。
ただ、公園好きの立場からすると、公園のある場所が刻んできた歴史というのも大切だと考えているので、匿名様もこの記事を読み、公園の様子を眺めて、子供時代のことを思い出していただければ幸いです。
コメント掲載いただきありがとうございました。幼児園もさることながら、この公園は小さい頃の遊び場でした。幼い記憶では、公園の奥の藤棚、滑り台やブランコの向こうに見える道路に面した石造りの柵、は今でも覚えています。
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