藤田と書いて「とうだ」と読む守口市藤田町。守口市北東部の旧・庭窪村域に含まれる農村でしたが、昭和中期から一気に住宅開発が進んだエリアです。その藤田村の中心だったあたりに、藤田公園があります。
敷地の真ん中にこんもりとした盛土山があり、園内を大きく南北に区切っています。
盛土山そのものは、桜の園のような形に整備されています。
なんとなく堤跡のようにも見えるのですが、近くにはここと繋がるような微高地は見当たらないので、勘違いかも知れません。
北側部分には、もともとは市営プールがあったそうですが、老朽化に伴って廃止され、10年ほど前に園地として再整備されました。
ただ、その際にちょっと頑張りすぎて、花壇ないしは植栽帯を必要以上に大きくしてしまったようで、訪れた時は、なんだかよくわからない草茫々の空間になっていました。
いっそ市民農園にでもしたいところです。
そのほかには、どちらからでも上り下りできる滑り台、シーソー、健康器具などが設置されています。
再整備時に導入された滑り台とシーソーは、どちらもそれまでの遊具とはずいぶん違った形をしているので、きっと近所の子供たちには衝撃だったのではないでしょうか。
一方、南側は以前からの遊び場そのままといった雰囲気で、古めの遊具が風景に馴染んでいます。
盛土山の麓には、コンクリート製の動物遊具たち。
守口市内の公園でよく見かけるので「幸せの白いゾウ」「カバキッス」と勝手に呼んでいる物件が揃っていました。
これだけ揃っていれば「恋人たちの聖地」になれませんかね?
そしてさらに南、旧集落の区域に抜ける細道を挟むように、藤田神社(天社宮)と頌徳碑が並んで建っていました。このあたりまで来ると、公園とはひとつづきではありますが、旧村の共有地としての色が濃くなっています。
市の資料を見ると、そもそも社周辺は藤田公園ではなく、藤田天社児童公園という別の施設になっているようです。先に児童公園があって、後から藤田公園ができて繋がったという間柄ではないかと思います。
「天社宮」は、全国的にはそれほど多くないと思いますが、安倍晴明を祖とする土御門神道の祭神である泰山府君を祀る神社です。それが藤田村にあるということは、藤田村は土御門家との繋がりがあったということです。
現地の解説板によれば、ここでは深沙大将、安倍晴明も祀られており、「往古より旧藤田村民は、公式の重要祝祭典の具官であった関係から、由緒ある陰陽道歴代組として宮廷へ参任した」とのことだそうです。
一方の頌徳碑。周りを柵で囲まれ、近づけないため碑文を読むことはできませんでした。
置かれている場所からして、村の経営や農業開拓、公園整備などに功績があった人を讃えていると思われます。
古くからの村の暮らしと微妙に融合した藤田公園でした。
(2018年5月訪問)
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