詳しいことは知りませんが、周囲を古い住宅・店舗に囲まれ、接道部の間口が狭い変形の敷地なので周囲からまったく見通せず、開園後に悪質なイタズラ、器物損壊などのトラブルが相次いだために、とうとう封鎖されてしまったようです。
今の視点で見ると、敷地設定や管理方法が間違っていたと言わざるを得ないのですが、なんらかの事情で、開園時には無理が通ってしまったのかも知れません。
フェンス越しに見える範囲は、一面の草敷きになっています。
ただ、園路もなにもなく、樹木の配置も変なので、いちど大きく改造されたのではないかと思われます。
敷地の一番奥には、なにやら水景施設(滝、流れなど)の残骸っぽいものが見えました。
もとはどんな公園だったのか、たまたま手元にあった1996年(平成8年)発行の書籍『市民ランドスケープの創造』の第15章(池邊このみ筆)に写真がありました。
背景に見えるビルの形から判断して、2枚前の写真とほぼ同じアングルで撮影していると思われます。
紹介文を抜粋すると「遊具中心の従来型の児童公園の計画を、地元自治会の要望で、おとなも憩える公園として整備したもの。コンクリートの打ちはなしの空間が、周囲の古い街区と対称をみせる。滝を配した遊水路では、子供たちが、裸で遊ぶ。古いまちにできた新しい公園のかたちである」とのこと。能書きは美しかったのですが...
しかし、これだけの構造物を作って、壊して、後は誰も使えなくして閉鎖という流れなので、それぞれ意思決定に謎のところが多く、色々考えさせられる下三条町東街区公園でした。
(2018年1月訪問)
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