ただし、現地の標識には「下水道敷地」と書かれており、万葉集にも歌われた由緒ある川とは思えない扱いを受けています。
No.1788でも登場した大正時代の奈良市街地図を見ると、春日山の方から奈良町を流れていく率川が描かれています。
日文研所蔵地図データベースより 1918年(大正7年)「奈良市街全図:実地踏測」 |
大正以降、いつ頃に暗渠になったのかは知りませんが、公園のすぐ近くには「柳橋」の親柱らしきものが保存されていました。
さて、そんな川跡沿いの三条町東街区公園。細長い変形の敷地をしています。
その細長い園内に、隙間なく滑り台、2連ブランコ、シーソーが一列に並べられています。
西端にわずかに広い草地があるのですが、表通りからは見えない暗渠道沿いですし、管理用車両も入りにくいので、夏場などは草茫々になっているのではないかと思われる三条町東街区公園でした。
(2018年1月訪問)
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