この公園は、明石市の日富美町(ひふみちょう)にあります。
日富美は「一二三」に佳字をあてたものだろうと想像がつくのですが、なぜ町名が「一二三」なのかを以前から不思議に思っていたら、公園名にヒントがありました。
つまり元々は、一番、二番、三番があったのですね。
『角川日本地名大辞典 28兵庫県』には”町名は一番町、二番町、三番町を中心とした町であったことから一二三(ひふみ)の語呂合わせで生まれた(明石市史)”とあります。
単純に区画ごとに1、2、3と番号を打ったのかも知れませんし、また他の城下町では、交代制で城の警護業務などを担うべく組織化された「番組」家臣たちが住んでいた町を「番町」と呼ぶことが多いので、ここもそれにあたるのかも知れません。
さて、現在の一番町公園。
公園の西側にメインの出入り口があり、飛び出し防止のためにクランク状になった通路を抜けて園内に入ります。
入ってすぐ左にあるのが、公園のシンボル的存在の石の山遊具。山そのものはシンプルな形をしていますが、2本の煙突状のパーツが目立っています。
「煙突」と呼びましたが、ものとしては「土管」遊具と同じものを流用していると思われます。
じっさい、横向きに置かれたものもくっついています。
「石の山」も「土管」も、近年は減少傾向ですが、昭和の頃にはよく見られた人気遊具です。その人気者同士をくっつけてしまったという豪華さが見どころです。
ちなみにくっつかなかった土管遊具もあります。
滑り台は、同じ明石市内のNo.978 松が丘公園で見かけたものとよく似た親子滑り台。デッキやハシゴではなく支柱だけを共有して大・小の滑り台をコンパクトに設置するものです。
でも実際は、上デッキから下デッキに乗り移ったりして、ジャングルジム的な使い方もされていると思います。
ブランコは、それほど特徴のない2連のもの。
遊具を離れて、敷地の2/3ほどを占める広場は至ってシンプルです。
明石市街地の公園は、総じて樹木があまり大きく育ちすぎないように管理していると思われ、遠くの空がよく見えます。
また、この公園は明石市が市内いくつかの公園で展開している「春の歳時記園」になっています。
他の公園では和歌の石碑と、その歌にちなんだ植物が植えられていることが多いように思いますが、ここには「うれしいひなまつり」の歌碑がありました。しかしモモの木は見当たらなかったので、ヤマモモで代用しているのかも知れません。
すぐ道向いには宮本武蔵が作庭したとも伝えられる圓珠院庭園もあり、城下町の風情をわずかに残す一角にある一番町公園でした。
(2018年2月訪問)
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