1753/1000 中崎遊園地(兵庫県明石市)

2018/04/03

ラジオ塔 身近な公園 登録文化財 日時計 兵庫県 明石市

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明石市の中心市街地近くにある「中崎」は、江戸初期に明石港を築港した際に、港を掘り下げ、掘った土を積み上げて堤防にした跡地だそうです。
公園の近くにあった歴史解説板に、江戸時代の中崎の図がありました。もともとは島状になっており、その裏側が船溜まりとして使われていたようです。

明治以降は明石海峡や淡路島を望む景勝地として観光開発が進み、海水浴場や茶屋が開かれた地を、明石市が公園としたのが1903年(明治36年)のこと。110年以上の歴史を持つ古株の公園ということになります。
その後、島の北側の水路(下写真左側マンションがあるところ)の、南側の海岸線(頂部の道路よりも右側)とも埋め立てられ、現在は市街地に取り込まれた北向きの斜面地が公園区域となっています。

敷地の西端から入っていくと、線状の土地を活かしたというべきか、ひたすら園路ばかりが続きます。

園路沿いには水路があり、海が近いので海水をポンプアップしているそうなのですが、私が訪れた時は何も流れていませんでした。

100メートルほど進むと、噴水のある広場に出ます。

背伸びをして、噴水をできるだけ上の方から眺めてみると、そのデザインには時計+日時計+水時計(漏刻)の要素を複合させているようです。

さすがは子午線のまち・明石です。

この時計噴水がある付近が公園の中心にあたり、斜面の上の方を見上げると、ほかにも面白いものが見られます。

それがこのラジオ塔。昭和初期にラジオの普及などを目的として各地の公園などに設置された「街頭放送」のための施設で、今でも関西を中心にいくつかが残っています。

各地に色々な形のものがありますが、ここのものは高さは約3.4メートル、上部の屋根の下にラジオを置くようにできています。

1937年(昭和12年)製で、国の登録有形文化財になっています。

●文化庁 文化遺産オンラインより「中崎遊園地ラヂオ塔」
明石海峡に面した中崎遊園地内に建つ。鉄筋コンクリート造一部石造、一辺一・二メートル、高さ三・四メートルの方形の塔で、頂部を燈籠状にしてラジオの台とし、軒反りをつけた宝形造の屋根をのせる。建設当時の社会の様相とラジオの普及の過程を物語る。

ラジオ塔の横から、噴水のあった広場を見下ろします。
かつては、この広場に人々がラジオを聞きに集まっていたのでしょうか。

木々の間から、ラジオ塔と子午線のまちの塔。

さて、ここからも東へ公園は続くのですが、急に園路がなくなって、斜面地の松林のみが公園区域となります。

もっとも、斜面地の上下とも生活道路で交通量は多くないので、散歩する分にはそれほど問題はありません。

上側の方が少し道幅が広く、景勝地だった頃の流れを汲むようなお店があったりして車通りがいくぶんか多いので、歩くのなら下側かも知れません。

何ヵ所かに上下を繋ぐ階段や坂道があるのですが、それだけでは不便なようで、所々に林の中を斜めに横切る踏み分け道ができていました。

300メートルほど東に進んで、上下の道路が再び交わるあたりまで来ると、大きな忠魂碑がありました。周囲よりも一段高いところに台座を設け、その上に忠魂碑が建っているので相当大きく見えます。

建立の主催は帝国在郷軍人会明石市分会、起工式は1919年(大正8年)といったことが裏面に記されています。

そして、忠魂碑をさらに東に越えたところに、1911年(明治44年)に建てられた中崎公会堂があります。
寺院のようとも、古い小学校のようとも見えますが、建ってからずっと公会堂。内部は、基本的には板張りの大広間が一つあるだけです。

文化庁 文化遺産オンラインより「明石市立中崎公会堂」
もと海岸沿いに立地し、北面して建つ。木造平屋建、建築面積499平方メートル、入母屋造桟瓦葺。4周に下屋を廻らし、正面に唐破風造の車寄を付した玄関を張出す。小屋をトラス組として広い空間をつくる。寺院風の外観が特徴的な市内で現存最古の公共施設。

100年以上を経て国の登録有形文化財(建造物)になっていますが、公会堂としては現役で、私が訪ねた時もダンスの練習に使われていました。
資料によれば、設計・監督を務めたのは、明石郡伊川谷出身の加護谷祐太郎。東京帝国大学を出た後、奈良県の技師となり、東大寺大仏殿の保存修理などにも携わった人物だそうです。

南に回って、裏側にある歩道橋から眺めると、瓦葺きの大屋根の向こうに教会の尖塔、さらに向こうに子午線が通る明石市立天文科学館が見えました。
ちなみに公会堂が建った頃は、眺めた歩道橋がある場所は海でした。

ちなみに1911年の開館時には、記念講演に夏目漱石が招かれています。
当時の漱石は44歳。すでに『坊っちゃん』『草枕』『三四郎』などを発表して大作家となっていましたが、同時に東京朝日新聞の社員として専属的に連続小説を書くという立場でもあり、この時は大阪朝日新聞の依頼で明石、和歌山、堺、大阪で連続講演会を開いています。
一種の販促イベントのようなものだと思うのですが、その時の講演内容が、明石『道楽と職業』、和歌山『現代日本の開化』、堺『中味と形式』、大阪『文芸と道徳』として青空文庫で公開されているものを読むと、連日の移動・講演にも関わらず内容は多岐に富んでおり、大作家の面目躍如と言ったところです。

すぐ近くに城跡のNo.21 明石公園があるため、あまり目立たないのですが、意外に歴史的な事物が集まっていて面白い中崎遊園地でした。

(2018年2月訪問)

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