1700/1000 白鳥公園・東(名古屋市熱田区)

2018/01/30

愛知県 古墳 身近な公園 盛土山 名古屋市熱田区

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白鳥(しろとり)公園は、熱田神宮の近くにある公園です。
経緯はよくわからないのですが、名古屋市内を南北に流れる堀川を挟んで、東側と西側とに分かれた公園が一体として白鳥公園と呼ばれているようです。
両側で性格がかなり異なるため、本ブログでは2回に分けて掲載。本日は東側のエリアです。

Mapion地図を加工して使用
(c)Mapion地図データ,(c)ZENRIN

「東西のエリアに分かれている」と言いましたが、上図で見ればわかるように、それぞれのエリアも一般道で幾つかのブロックに区切られています。
まず北側のブロック。四周を道路で囲まれた約1500平米の敷地で、そのまま単体でも一般的な街区公園として成り立つ規模・仕立てになっています。

私の好きなタイプの盛土山があったので、いちおう登ってみました。

盛土山の頂上から園内の紅葉を眺めたところ。盛土山から続く山地がササ山になっており、その中にきれいに黄色くなったイチョウが並んでいます。

上写真に写っているブランコのほかにも、滑り台、シーソーなどがこのブロック内にあります。

周囲の道路も住宅地内の一車線道路でそれほど危なくないので、幼児~低学年くらいの遊びに向いている雰囲気です。

道を渡って中央のブロックに進みます。
このブロックも3面が道路に接していて明るい雰囲気ですが、敷地はややいびつな鍵型をしています。しかし、北ブロックと同じようにイチョウやケヤキなど紅葉・落葉が美しい樹木が多く、なかなか良い雰囲気です。

こちらのブロックにもブランコや鉄棒があるのですが、北ブロックの遊具の集まり具合と比べると散漫で、どちらかと言えば広場・園地型の施設内容になっています。

そして、中ブロックを通り抜けて、また一般道を渡ったところが南ブロックです。
ここにはヤマトタケルの伝説に彩られた白鳥古墳があり、その周りが公園の広場になっています。

白鳥古墳は「白鳥御陵」とも呼ばれていますが、宮内庁が管理する陵墓ではありません。

現地の解説板には触れられていませんが、宮内庁によってヤマトタケルの陵墓だと治定されている古墳は三重県亀山市、奈良県御所市、大阪府羽曳野市と3ヵ所もありますが、それは日本書紀に「伊勢で亡くなった尊の魂は、白鳥となって飛び立ち、三度羽根を休めた」とあるからで、3ヵ所が先に決まってしまうと、4ヵ所めはなかなか厳しい立場です。

■現地の解説板より「白鳥古墳(白鳥御陵)」
この古墳は6世紀初めごろの築造と推定され、全長約74メートルの前方後円墳であるが、前方部と後円部の東部分が削り取られて原形が損なわれている。
古くからこの古墳は、日本武尊の御陵との説があり、日本武尊が白鳥となって熱田の宮に飛び来り、降り立った地であるところから白鳥御陵と名付けられたといわれる。
名古屋市教育委員会

また、市役所の別のホームページには、「白鳥は、水田を構えることを意味する『代取り』から来た」といったことが書かれていました。ふむふむ。

名古屋市熱田区のHPより
白鳥陵があったところから名付けられた。シロトリといえば、水田を構えることをいい、正しくは代取(しろとり)の意である。後世、日本武尊の故事になぞらえて、白鳥と意を解するようになったという。

(2017年11月訪問)

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