「宮の森」というくらいなので、おそらく元々はお社があったのだろうと思います。明治の頃の地図にも、西ノ庄(西中村)の集落の北側に鳥居のマークがありました。
日文研所蔵地図データベースより 「京都市実地測量地図」(1909:明治42) |
では、いつまであったのかと考えるわけですが、資料によれば公園が開かれたのが1961年(昭和36年)。
国土地理院のサイトに掲載されている、画質が非常に粗い過去の2.5万地形図を心眼で読み解くと、1979(昭和54年)修正のものでは公園の中に鳥居マークが描かれており、1983年(昭和58年)修正のものでは無くなっています。
おそらく、公園敷地の西方にある少しこんもりとした杜の部分がお社の跡地だろうと思います。
近づいてみると、低い石垣で周囲とは簡単に仕切られ、参道のような形状も残っています。
また、ここの樹木だけ周りと比べて明らかに大きく、公園になる以前からお社の杜があったことがうかがえます。
コンクリート製の標柱もありましたが、古びており文字は何も読み取れませんでした。
園内の樹が大きく、老木化しているためか、キノコがたくさん生えていました。
素人目には肉厚なシイタケのように見えますが、よく似た毒キノコのツキヨタケなのかも知れません。
まぁ、公園に生えているキノコをむしって食べる人もそうそういないと思うのですが、子供が興味本位でかじることはありそうなので注意が必要です。
さて、お社跡の話はこれくらいにして、その他の部分です。
おおむねお社のある西半分が遊具コーナー、東半分がかなり広い土敷きの広場になっています。
遊具コーナーは林の下に遊具が散らばっているような形で、コンクリート製の滑り台(大・小)、ブランコ、シーソー、砂場などがあります。
全体的にはよくあるタイプの遊具が多い中で、年季のせいで珍しくなっているのがコンクリート滑り台(小)です。
デッキ部分の柵は小さく、滑り部には手すりもないので、背が低いわりにはドキドキ感があります。
円形の砂場は縁の部分が巨大なので、ローラーゲームが楽しめそうです。
一方、東側の広場については、写真にしてみてもわかりにくいのですが、50メートル四方くらいの大きさのある広場をフェンスと植栽とで四つに区切っています。
野球やサッカーを拒絶して、ゲートボールなど用に改良したのでしょうか。
なにかと経緯が気になる宮の森公園でした。
(2017年10月訪問)
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