名古屋駅は東側が表口で、西側は裏口のようなもので駅前の様子はずいぶんと異なっており、この公園からも駅前の高層ビルが見えるものの園内はのんびりした雰囲気が漂います。
方向を変えて、園内から西側を眺めるとこの調子で、高いビルはほとんど見当たりません。
園内はいかにも区画整理地の公園といった感じで、長方形に整った形の敷地の中央にパーゴラを置いて敷地を分け、東側が遊具広場、西側が土敷きの広場になっています。
遊具広場は、滑り台とブランコが合体した複合遊具、シーソーなどがあります。
複合遊具のブランコは、座板がゴムになった柔らか安全タイプのものです
複合遊具のブランコのほかに、普通2連、バケット式2連のもあって各種充実しています。
光線の具合で見づらいですが、変形で個性的な形をしたシーソーもあります。
あと、今ひとつ遊び方がわからない物件。
プレーウォールのように、よじ登ったり下を潜ったり、飛び越えたりぶら下がったり、自由に遊んでかまわないと思うのですが、大人になると頭が固くなっていけません。
本来は三重塔のようなのですが、一番上の部分が落っこちていました。
それも、最上部は落っこちたままの状態で放置されていて、ちょっと残念な雰囲気が漂っていました。
慰霊碑の横には「季節凌霜」と題された石碑があり、漢文で由緒書が刻まれていましたが、柵があって近づけないため詳しくは読み取れません。ただ明治38年(1905)年に亡くなった方のお名前が刻まれていますので、日露戦争の慰霊碑だと思われます。
おそらくは公園ができる以前からあった慰霊碑を区画整理に際して移転させてきたものだと思われますが、なにしろ100年も前のものでは親族の方とも縁遠くなりますし、駅前整備や区画整理で地域住民の入れ替わりもありますので、維持管理は大変だろうと思われます。
私は、公園にこうした石碑が集まることについては肯定的な立場なのですが、きちんと管理できていないものは石碑としての役割を終えたものと考えもします。その場合はしっかりと建っている石碑だけを残して、構造的に崩れやすい慰霊碑は撤去するという判断もあり得ると思います。
この慰霊碑が役割を終える日が近づいていないことを祈る牧野公園でした。
(2017年1月訪問)
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