じつは目的地に向かって歩いている途中、約束の時間に遅れそうになりつつ通りがかったので、概略だけを駆け足で記録。
面積は約2ヘクタールあって、大雑把に言って花壇などのあるエントランス、遊具も併設された土敷きの多目的広場、丸い形の芝生広場、園路・樹林地の4つに園内が分けられています。
エントランスは、園路沿いに長さ30メートル×幅2メートルくらいの花壇があって、こうした住宅地の公園にしてはかなり大きな規模だといえます。
植えられていたのはサルビアやマリーゴールドなど一般的なものでしたが、それでもこれだけの面積を美しく管理するのは大変だろうと思いました。
少し場所を変えると、なんとなく庭園風の一角もありました。
続いて、手前が遊具広場、奥が多目的広場。
遊具はそれほど多くはなく、小ぶりな複合遊具、ブランコ、砂場とプレーウォールといったところ。公園の規模や立地環境からすれば、もう少し遊具があっても良いかな、と思いますが、他の施設とのバランスもあるので難しいところです。
そして冒頭にも写真を掲載した芝生広場。丸い形の広場を囲む園路がジョギングコースとして使われていました。
ところで、この公園の西側の出入り口付近に「潮煮塚碑」がありました。
碑文によれば、往古には海がこの付近まで入り込んでいて、製塩が行われていたから「塩原」という地名になったそうです。
●現地の碑文より
(図:鎌倉時代に画かれた博多古図の絵馬 住吉神社収蔵)
塩原の由来は、筑前国続風土記などによると、汐原、潮煮塚にあり。いにしえは、このあたりまで潮来たり、潮を焼いた所と言われ潮煮塚を建てたとある。
塩原の地名もこれによっての名なりと言われている。
また、潮煮塚は風土記附録によれば、六地蔵潮煮塚の西三丁往還の側高き所に在りと記されている。
塚の場所は不詳であるが、ここに潮煮塚の跡として記念碑を建立する。
平成16年(2004年)6月 塩原・清水有志の会
その碑文に鎌倉時代の博多の絵図面が刻まれており、現在は海岸から4キロくらい離れたこの塩原(汐原)も、当時は冷泉津という入江に面した河口の地だったことが示されています。
No.1447、1448と続けて、「何かしら海・船・ウミガメに関係ありそうな土地」の公園を巡ってきましたが、ここへ来てその真相に少しだけ近づいた気がする塩原中央公園でした。
●福岡市HP 塩原地区土地区画整理事業
(2016年11月訪問)
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